びわ湖の周辺には
色取り取りの蝶がいる。
色々な虫も草も。
ヘビやカエルやカメや鳥がいる。
魚がいて魚を食う魚がいて
何でも食べる人間の食卓がある。
人間の生活がある。
そしてミクロコスモスがある。
ここに集められた多様で壮大な自然の様子を見ていると
「食うか食われるか」の単純な生存競争以上のものを感じる。
世界は断絶しながら連携していて
まだらで突飛で整然としていて
気まぐれである。
そして
<食うも食われるも循環>である。
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びわ湖観光に来た人には必ず訪れてほしいと思うのがこの場所。
人の生活まで含めたびわ湖の生態系、その魅力、その大切さが
ここにギュッと凝縮され多面的に表現されているからである。
施設の中核にしてクライマックスとしてある
水族展示室のアクアリウム。
見て美しく食べて美味しい小鮎の群れ。
ただ見るだけではなく、それが<食物>であるということが重要で、
食べることによって人はびわ湖の生態系とつながっていく。
だからこの博物館には「魚屋さん」という展示がある。
「オイラを食べてくれよ~」と言っているようにも見える。
そのように聞こえるのは人間の独善であるが、
水族の声が聞こえない人にはこの魚は
気味の悪い生ゴミにしか見えないかもしれない。
食物連鎖とは独善の連鎖のことなのだろうか。。。
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大津市の南郷にある
厄払いのお寺として有名な立木観音。
ここは800段の長い長い石段でも有名である。
たぶん石段の方が厄払いより有名だろう。
厄払いは厄年の人にしか関係がないけれど
800段は誰にとってもインパクトのある、
そしてかなりしんどい石段だからである。
一口に800段と言っても、ビルの階段で50階以上。
それが急な石段なのだから昇るのはかなりたいへん。
行けども行けども石段石段で、段々石が憎くなってくる。
頼りはこの手すりだけで、
これを仏のお導きだと信じてしがみついて石段を昇る。
そしてようやく昇りきったところにある休憩所がこの「御茶所」。
ここに座ってお茶をいただけるのはとても有難い。
仏のご慈悲という感じである。
仏のご慈悲をしみじみ感じて
一息ついたら厄払いグッズでお祓いをしていただく。
そして、もちろん降りるのも階段。。。。
やっぱり長い長い階段であることには変わりないのだが、
昇るのと比べたらはるかに楽である。
昇るより降りる方が楽なのは当たり前なのだが、
ここでは昇るのがあまりに大変なので、
降りるときには相対的にとても身軽に感じる。
まるで昇るときには全身にまとわりついていた
重苦しく息苦しいものが
降りるときには
石段に対する憎しみといっしょに
きれいさっぱりと払われたようである。
それが長い長い石段のご利益で
そのご利益は厄年でなくても誰でも感じることができる。
京都市山科区の山科工房(社団法人京都手をつなぐ育成会)さんを
訪問させていただきました。
山科工房さんではコーヒー豆を自家焙煎して販売されています。
豆を一粒ずつ選り分けて、
良質のものだけを小型の焙煎機で丁寧に焙煎。
豆の焙煎も挽き方もご要望に合わせてきめ細かく対応しています。
作業場の中はコーヒーの良い香りが漂います。
コーヒーの麻袋を利用したバッグや
コースターなども製品化されています。
他にも下請け作業として木工品やお線香の箱詰めなども行っておられます。
こちらも丁寧な作業です。
山科工房さんでは近日、カフェをオープンの予定。
洋菓子店とのコラボで新製品の準備も進んでいるとのことです。
琵琶湖疏水のたもとにある施設さんなので
桜の季節には見事なお花見ができそうです。
手すき和紙のメッセージカード。
封筒付きです。
デザインは「ねこ」「ハート」「葉っぱ」の3種類。
あじわいのある活版印刷で印字がされています。
ねこデザインには「ほんの気持ちですニャ」
ハートデザインには「ハートをこめてありがとう」
葉っぱデザインには「はっぱひらひらおもいをのせて」
価格はそれぞれ350円(税込み)です。
京都市東山区の社会福祉法人なづな学園さんを
訪問させていただきました。
なづな学園さんは昭和33年にスタートされた歴史のある施設で、
現在は法人本部を含め7つの施設を運営されています。
利用者さんは女性限定です。
下請けは京都らしい観光土産品の箱折りが中心。
様々な自主製品も作っておられます。
こちらは人気の高い天使のピエール君シリーズ。
箸置きやカップなどバリエーションも豊富。
すべて手作りなので
現状はなかなか注文に応じきれないとのこと。
色付けを待っているピエール君たち。
ちょっと退屈そうです。
こちらはくいしんぼうと動物の小皿シリーズ。
こちらも一つ一つ手描きです。
手漉き和紙のメッセージカードもおすすめ。
文字はレトロな活版印刷です。
他にもパッケージを工夫したクッキーや
手描きのポストカードやアクセサリーなど
かわいい製品がいろいろあります。
近くでカフェの営業もされていて
そちらでなづな製品の購入もできます。
この華やかなポピーのエプロンもなづな製品。
かわいさいっぱいのなづな学園さんです。
日本中世の民衆像
網野義彦 著
1980年刊 岩波新書
1979年に行われた岩波市民講座の講演記録もとに書かれた本
話し言葉で平易に書かれている
前半が平民像、後半が職人像となっている
国立民俗学博物館で行われている ビーズ展に行きました。
そこでアンティークビーズを一つ買いました。
傷だらけですが、琥珀色で
宝石のようにカットされていて 素敵です。
横から光をあてると 尾を曳く彗星のようです。
ある人々にはお守りとして
別の人々には富の象徴として
また別の人々にはファッションとして
珍重され
そらら無数の時代の無数の地域の無数の人々を
遠隔交易によってつないできたビーズ。
10万年におよぶビーズの人類史は
長く長く尾を曳いて
美しいネックレスのように連なり
今ここの私の手もとにあります。
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『ビーズ』
池谷和信 編
2017年刊 国立民族学博物館
国立民族学博物館の企画展『ビーズ ~つなぐ かざる みせる~』の図録。
10万年前の貝殻のビーズからはじまり、様々な美しい素材が
世界中を流通して人々を魅了してきた人類史。
ある程度大きなまとまりのある集団が
同じく大きなまとまりのある集団と交易をして
財が世界に拡散する。
そしてその財が富や地位を象徴するようになり、
交易がさらに活発になり
より遠隔地に及ぶようになる。
世界はビーズによってつながっていく。
貝の道、石の道、琥珀の道、ガラスの道・・・
さらにその財が地域に飽和してくると
交換の基準としての貨幣に転じていったかもしれないのだが
この企画ではその点についてはあまり語られていない。

それにしてもビーズのコルセットを巻いた
アフリカの若者は抜群にセンスが良くて
惚れ惚れするほどクールである。
肉体の感覚と美の感覚を研ぎ澄ますことに
存在のすべてを投じているかのようにさえ見える。
高貴で美しい。
もしそれが命を懸けるほどの鋭さであるなら
それは部族間の争いを引き起こす原因に
なってきたのかもしれないと思うほどである。

人はお金に代えられないもののために命を懸ける。
命を削るような生き方は高貴ではあるがはかない。
何でもお金で解決できると考えるほど堕落した人は
凡庸に長生きをする。
何でもお金で解決できると考える人びとの国は
凡庸ではあるが平和で豊かになる。
人類は様々な相互意識の強烈な軋轢を
貨幣に変換することで回避し、平和を築いてきたと言えるだろうか。
問題を水に流すのではなくカネという大きな流れに流すことを
社会的に発明したと言えるのだろうか。
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