橿原神宮は、初代の天皇である神武天皇を祀るために、明治23年(1890年)に創建された神社です。
京都御所の一部を移築して社殿としていることからもわかるように、ここはは近代の天皇制と深い関りをもつ存在だと考えられます。
参道から拝殿までの整然とした造りは、膨大な数の参拝者を捌くことを想定して設計されているいるように思われます。
ですから木と石という伝統的な素材で作られているにもかかわらず、すっきりとしたモダンな印象があります。
二つの大きな鳥居の先に現れるのは拝殿ではなく、<日の丸>です。
まるで国旗もしくは国家そのものが、ご神体であるかのようにも見えます。
少なくとも、まず国旗・国家に一礼してから拝殿に向かうような形式になっています。
橿原神宮は、天皇制と国家と神道をひとつに結びつけ、近代ナショナリズムを促すために設計された装置であったのでしょう。
その装置は見事に作動して、橿原神宮の宮域は、近代日本の発展と歩調を合わせるかように拡張されていきました。
創建当初2万6000坪だった宮域は、昭和15年(紀元2600年)には、16万坪に広がっています。
紀元2600年の奉祝記念の境域整備のためには、延べ120万人以上の建国奉仕隊が組織されています。
昭和のはじめには、国民の組織化が加速度的に進んでいたのでしょう。
そしてその加速は国民自身の自律的な熱狂となり、ブレーキシステムを持たないまま大陸へ海洋へと膨張していきました。
激しい感情は未来のことなど精査したりはしません。
そして戦争とその自壊へと至ります。
感情のメルトダウンです。
戦争もまた盲目的な人間集団の熱狂が生み出すバブルのひとつでしょう。
社会は、それを構成する人間自身を制御することが難しい。
それから80年近くを経た広大な橿原神宮では、多くの野鳥が勝手気ままに飛び交っています。
自分たち自身を制御できない人間集団は、古代の天皇のように、その将来を頭のいい烏に導いてもらう方がいいのかもしれません。