「 ギフトのパンセ 」記事一覧

2018.08.16 パンセの書庫

『世紀末とベル・エポックの文化』 福井憲彦 著 1999年刊 山川出版社

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「過渡期であり、無秩序が支配する」近代の草創期。
人々の意識は<国民国家>という象徴に次第に収斂していく。
その時期に大きな役割を果たすのが電気である。
石炭やガス灯の炎のゆらめきから眩く硬質な光を放つ電気への転換。
光輝く都市はより多くの人々を集め、
その流れは一方的で不可逆のものとなる。
電気はただ輝くだけの象徴に止まらず
情報伝達を劇的に変化させるメディアでもあった。

電気によって情報が集められ
それは政治的・産業的意志により変換され
電気によって都市の大衆を煽動する。
このマッチポンプ的な情報の循環が
ナショナリズムを絶対化していった。

科学技術による煽動によってナショナリズムの枠組みは
国家国民の隅々まで規定するようになった。
力としての石油、情報を操る電気。
眩い光は、境界線の向こう側の闇を深く濃いものにした。

 

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2018.08.15 パンセの書庫

『近代技術と社会』 種田明 著 2003年刊 山川出版社

プリント

 

 

 

身分制度を含む安定した世界観に支えられていた中世や非近代世界は
実利を前面に押し出した義理も人情もないスッキリとした
騒々しい近代に置き換わっていく。
その観念体系が入れ替わりを<革命>と呼ぶ。
大抵の場合、その観念の体系は人間によって表現されているので
観念が入れ替わると人間も入れ替わることになる。
入れ替えられた古いタイプの人たちには石が投げられたり、
場合によってはその人たちが死刑になることもある。
それは太陽の復活のために生贄の心臓を捧げたり、
前王朝の一族や家臣たちを皆殺しにしたりする光景と重なるように思える。
そうやって定着した近代以降の人々は
プリミティブな心に、合理性に貫かれた技術を接ぎ木した
ハイブリッドな存在である。

近代技術には国境も民族も思想信条もほとんど関係はない。
自由でオープンでニュートラルなものである。
その意味で今の人類は近代技術を基礎にした
たったひとつの大きな<民族>であり<国家>である。
ただしその内輪もめは合理的な技術に貫かれた
スッキリと徹底したジェノサイドになる。

 

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2018.08.11 パンセの書庫

『産業革命』 長谷川貴彦 著 2012年刊 山川出版社

プリント

 

 

右向きと左向きの二つの宗教が対立し、
それが終りの見えない激しい争いが続ける中で、
右でも左でも納得する中立的な技術が体系化されていき、
それが「科学」と呼ばれるようになった。
それは右でも左でもないより普遍的な存在であり、
右と左を超越する新しい神様の誕生であった。
新しい絶対神の前では、古い神様たちは
科学者になれなかったただの不思議ちゃんに落ちぶれて行った。
古風な倫理や宗教から解き放たれた怖いもの知らずの
<純粋>科学は飛躍的に発展し、あるいは勝手に暴走する。
その力を使って世界を変え、あるいはその力によって
翻弄されてきた姿こそ我々の近代史である。

 

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2018.08.11 パンセの書庫

『ジェントルマンと科学』 大野誠 著 1998年刊 山川出版社

プリント

 

 

科学の愛好家たちによる<みんなの科学>が
サイエンティストと呼ばれるエリート集団にしか理解できない
高度な<専門家の科学>に変わっていった時代の流れ。
それは「近代」が立ち上がっていく過程である。
仕事は工場に、教育は学校に、生活は都市に集約されていく。
この流れが、自律的で強固で不可逆的なものになった時点が
どこかにあったはずである。
伝統的な神や集落や家庭に無言の死刑宣告が下った
不気味で明るく巨大なパラダイムシフト。

 

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2018.06.28 パンセの書庫

『透明な沈黙』冨田伊織・鬼界彰夫著 2010年 青志社

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冨田伊織氏の制作された透明標本の写真に

鬼界彰夫氏によるウィトゲンシュタインの言葉の翻訳を

組み合わせた本

 

 

100年の時を超えた写真と言葉の素晴らしい出会いです。

あとがきにあるウィトゲンシュタインの思想の変遷も興味深いものです。

 

 

 

 

 

2018.02.05 パンセの書庫

『日本のポスター 明治・大正・昭和』三好一著 2003年 紫紅社

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主に明治期から戦前・戦中にかけての日本のポスターを集め、

製品分野別に編集したものである。

 

近代以前にも日本には画像を使った掲示物は存在した。

「絵びら」と呼ばれるものである。

明治に入りそれが次第に洋風の「ポスター」に代わり、

印刷技術は木版から石版そして金属版になっていく。

技術の進展は印刷物の大量生産と呼応するものだった。

 

そしてそれは都市の市民生活の劇的な変化とも

歩調を合わせる。

 

化粧品、医薬品、酒類、衣料品、菓子といった

近代生活の変化と豊かさや憧れが

そこには表現されている。

表現手法は玉石混交といった感じである。

 

それが洗練度を増し、

よりモダンなアールデコや未来派のような

直線的で色数の少ないものに変化していく頃には、

ポスターにも次第に戦時色が現れてくる。

多品種の豊かなバラエティが

統一的な超大量生産へと歩みを進める。

 

それを眺めていると近代化の進展は

戦争の必然を孕んでいたのではないかと

思えてくる。

 

 

2018.01.05 パンセの書庫

『大正デモグラフィ』速水融・小嶋美代子著 2004年 文春新書

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大正時代の貴重な人口統計から、当時の社会状況を考える本である。

 

大正は、明治と昭和というふたつの長く激動した元号に挟まれた、

あまり目立たない時代である。

しかし文明開花の日本が真に都市化と近代化に

塗り替えられたのがこの短い時代のことである。

そして大正元年は1912年、既に20世紀に入っていた。

 

この時期、日本は農業を基盤とした社会から

工業を基盤とした社会に転換している。

全国に鉄道網が完備され都市の人口は急激に増えた。

人々は新聞や雑誌を読み都市の一個人となる。

夜が明るくなり伝統的な家族像がかすれてゆく。

 

国家が都市の個人と核家族を中心に

再編されてゆく時代である。

もちろんそれがすべてになったわけではないが

その基盤は出来上がっていた。

 

今考えるとこの時から昭和の総動員戦争への歯車が

逆戻りできない形で確実に回されていったように思える。

 

 

2017.10.22 パンセの書庫

『紀元2600年 消費と観光のナショナリズム』 ケネス・ルオフ 著 木村剛久 訳 2010年刊 朝日新聞出版

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紀元2600年 消費と観光のナショナリズム
ケネス・ルオフ 著 木村剛久 訳
2010年刊 朝日新聞出版

 

15年に及び整えられていった総力戦体制は、
意外にも経済を活性化させていった。
紀元2600年(1940年)は、いよいよアメリカとの闘いが
迫って来ていたにもかかわらず
神武天皇を祀る奈良に3800万人もの人が訪れ
東京の百貨店の愛国催事は1日40万人という多くの人で溢れていた。
雑誌は神国日本を称える懸賞募集で盛り上がり、
誰もがラジオに耳を傾け、レコードは2100万枚も売れていた。

消費を一方向に傾けるファシズムは
極めて確実に儲かるバブリーな商売でもあった。
軍隊が国民に戦争をさせたのではない。
国民が戦争で盛り上がっていったのである。

当初は絶対勝てるはずがないと正しく認識されていた戦争が、
いつの間にか<だから負けるはずはない>にひっくり返っている。
戦場に行かなかった市民もまた戦犯だった。
近代の戦争は政治家や軍人が勝手に起こせるものではない。
近代メディアと近代兵器の凄まじい発達に
愛国の熱狂が混じり合って戦争に点火したのである。
そしてその状況の根本は今も変わってはいない。

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2017.10.22 パンセの書庫

『1940年体制(増補版)―さらば戦時経済』 野口悠紀雄 著 2010年刊 東洋経済新報社

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1940年体制(増補版)―さらば戦時経済
野口悠紀雄 著
2010年刊 東洋経済新報社

 

軍と政治家と官僚が三つ巴で争い、そこに財界や右翼も加わって
てんやわんやになりながら、それでも戦争には負けるわけにはいかないので
そのために総力戦体制が組み立てられていく戦時期。

それぞれの勢力の思惑はとんでもなくバラバラで
裏切り、暗殺、テロ、謀議を繰り返しているのに
それでも産業技術は生産効率という指標一つに集約されて飛躍する。
生産が効率的な軍需品に特化されると、
日用品も食料品も娯楽もなくなって、
消費市場のない生産だけの世界が現れる。

みんな等しく貧しくなり、

日本はひとつの究極の軍需工場になった。


お金が無くて貧しかったのではない。
ご婦人もお子様も総出で働かなければならないくらい人手不足で
忙しかったのであるが、
所得は貯蓄に回され、それが再び軍需工場にだけ投資され続けて、
買うものがなかったのである。
敗戦後には軍は解体、政治家は追放、財閥も押さえつけられて、
官僚と総力戦体制は生残り日本の社会に深く根を張った。
作るものは変わったがシステムは究極の軍需工場のままであった。
それは国民皆保険や年功序列や銀行貯金や下請けといった
おなじみの制度とともに整然と行進し
等しく貧しかった人々は平等な中産階級になった。

と、そこまでなら苦難を乗り越えたハッピーエンドだが、
物語は幸せな高度成長期を過ぎ、バブル期も停滞期も過ぎて、
平等に高齢化して、人口減少の格差社会に突入している。
1940年と比べると人口ピラミッドもひっくり返っていて、
1940年体制はあまりに遠い昔話なのだが、
次に名付けられるほどの未来の体制には
まだ至ってない。
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2017.10.22 パンセの書庫

『帝国主義と世界の一体化』 木谷勤 著 1997年刊 山川出版社

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『帝国主義と世界の一体化』
木谷勤 著
1997年刊 山川出版社

 

日本が鎖国から海外膨張へと
180度の方向転換をすることになる背景にあった「帝国主義」。
世界の半分が列強の植民地になっていたこの時代に
日本は何が何でもキャッチアップしなければならなかった。
この時代のグローバルな展開から見れば、
260年も日本を統治していた徳川幕府でさえ
地方の島の遅れた支配者に過ぎなかった。
歴史の流れを知っている現代から見れば
維新日本はその始まりから
世界全面戦争を戦うことを運命づけられていたかのように見える。

「帝国主義」の推進力は資本の論理と産業化であり、
それは植民地がなくなった現在も世界を動かし続けている。
ということは100年前の戦争の時代、
主役は帝国主義の国家であるように思えたが、
本当の主役は資本と産業で、
「国家」というのもそれらがつけた
仮面の一つに過ぎなかったということなのだろうか。

今は国家に代わってグローバル企業が舞台の主役である。
今奪い合っているのは限りある世界の土地ではなく、
人々が永遠に続ける<消費>である

 

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