『社会人類学』
中根千枝 著
2002年刊 講談社学術文庫
「タテ社会の人間関係」拡大アジア版、というか本筋はこちらで
「タテ社会」はこの中にあらわれるモデルのひとつと解釈すべきなのだろう。
そしてこれがあるから「タテ社会」論が、単なる印象論ではなく、
学問的に検討されるべき価値のあるものだとはっきりわかるのである。
『社会人類学』
中根千枝 著
2002年刊 講談社学術文庫
「タテ社会の人間関係」拡大アジア版、というか本筋はこちらで
「タテ社会」はこの中にあらわれるモデルのひとつと解釈すべきなのだろう。
そしてこれがあるから「タテ社会」論が、単なる印象論ではなく、
学問的に検討されるべき価値のあるものだとはっきりわかるのである。
『タテ社会の人間関係』
中根千枝 著
1967年刊 講談社現代新書
50年も前に書かれた本なのに、
いまだに版を重ねながら新鮮さを保ち続けている現代日本の古典
現象ではなく構造、社会風俗ではなく社会モデルを抽出して書かれたものなので
時代が変化しても簡単には風化しないし、
その構造そのものも簡単には変化しないので、常に参照され続けるのである。
もちろん今から見れば、それなりに人々の意識は変化しているし、
書かれていることに古風な印象も受けるが、
それらは暗黙の了解として存在する社会構造の上で
起きている変化であるとも言える。
例えば大企業のトップ人事で、比較的若い人が選ばれると、
30人抜き大抜擢などと言われて騒がれる。
意識は変化しているので能力による起用は普通に起きているのに、
序列構造が残っているので○人抜きという表現になる。
序列がなければ、そもそも抜くべき順番も存在しない。
このモデルに気が付いたのは、著者が女性であったからだろう。
当時の日本で女性で学者で東京大学でインドでチベットで、
という全く非体制的でマイノリティな存在であり、
日本とアジアとヨーロッパと都市と田舎と女性社会と男性社会とを横断して、
それらを俯瞰する視点を得ていたのである。
そしてその視点を生かすための明晰な頭脳と猛烈なバイタリティがあった。
著者は今年で90歳になられますが、
自らの歩むべき道をしっかり歩まれてきて、
おそらく老いても
死ぬまでお元気なのではないか、
という気がします。
『レヴィ=ストロース』人と思想96
吉田禎吾 板橋作美 浜本満 共著
1991年刊 清水書院 センチュリーブックス
主に高校の教科書を出版している清水書院の「人と思想」シリーズの1冊。
「人と思想」は幅広く様々な人物を取り上げている息の長いシリーズで、
おおよそ高校の副読本の延長くらいのスタンスで書かれており、
堅苦し過ぎず刺激的過ぎず偏りなくわかりやすい内容になっている。
この巻も、来日時のレヴィ=ストロースの様子などにも触れており親しみが持てる。
日本を旅行していた時のこの写真などを見ていると 、
大学者の大思想家も実は穏やかで気のいいじいさんなのだ、と感じる。
もちろん人物への親しみと思想の解読は別物ではあるのだが…
『レヴィ=ストロース入門』
小田亮 著
2000年 刊 ちくま新書
レヴィ=ストロースの<構造>と言語学、数学との関わりにはじまり、
構造主義人類学に向けられる批判を<構造>の基本とともに検討し、
次いで主な著作である『親族の基本構造』『今日のトーテミズム』
『野生の思考』『神話論理』を順番に解説していくという、
よく整った内容の入門書。
融通無碍でとらえどころに少々コツのいる<構造>と
自らの思想の足場ごと崩しながらレヴィ=ストロースが批判する<歴史>
とらえどころがなくて足場もないから
わかりにくくて幻惑的、そして
スリリングと言えばスリリング。
南禅寺の敷地を横切る明治の水道橋。琵琶湖疏水の一部です。
今では若いお嬢様方の人気の撮影スポットになっていますが、
建設当時はおそらくかなりもめたことでしょう。
明治政府の金策のために搾りに搾られていた旧権力の寺院。
その取り立てられた金で自分の敷地の真ん中に
わけのわからないものを建てられる。。。
少し前の時代には
宗教界の別格の誇り高き存在であったものに対する
許しがたい暴挙であり、
寺院側としては耐えがたい屈辱であったと思われます。
たかが市町村の新参者の水汲みごときが
全国の総本山の由緒正しいこの場所を勝手に踏み荒らすなど
あってなるものか~!!
くらい思っていたのではないでしょうか。。。(想像)
でも本来守護者であったはずの天皇が敵のトップになているので
逆らいようがない。
逆に明治の新行政府の側から見れば
旧勢力に対する力の顕示になったのでしょう。
京都の景観に関する対立は
この時の恨みが根底にあるのかもしれません。
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