『宗教改革 ルター、カルヴァンとプロテスタントたち』 オリヴィエ・クリスタン 著 佐伯晴郎 監修 1998年刊 創元社「知の再発見」双書

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『宗教改革 ルター、カルヴァンとプロテスタント』
オリヴィエ・クリスタン 著 佐伯晴郎 監修
1998年刊 創元社「知の再発見」双書

 

教対立による混乱の血なまぐさい図版多数の本。
これを見ていると
混乱や殺戮などが満ち溢れた
無数の俗世の表現の果てに
「聖テレジアの法悦」が忽然と現れて、
この偉大な傑作が単にベルニーニ個人の才能だけではなく
血みどろの歴史という基盤があってこそ成立したものなのだと
腑に落ちる。

 

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● 関連する記事 ~宗教改革の時代に関して~ ●

・『宗教改革の真実』 永田諒一 著

・『宗教改革とその時代』 小泉徹 著

・『主権国家体制の成立』 高澤紀恵 著

・『クラーナハ《ルター》』 マルティン・ヴァルンケ 著

・『500年後の誘惑 クラーナハ展図録』グイド・メスリング 新藤淳 編著

・『宗教改革』 オリヴィエ・クリスタン 著

・『キリスト者の自由 他』 マルティン・ルター 著

 

 

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『主権国家体制の成立』 高澤紀恵 著  1997年刊 山川出版社

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『主権国家体制の成立』
高澤紀恵 著
1997年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

ルターが開けたパンドラの箱、そこから始まるキリスト教大分裂。
虐殺と破壊と略奪、疑心暗鬼と狂気の100年。
最後の最後に箱の底に残ったのは近代の<理性>であった。
そしてその箱は<主権国家>と呼ばれるようになった。

この時代の光景は、現代の破綻国家の姿と重なる。
当時のプロパガンダは印刷で行われ、
現代のルワンダではそれがラジオに変わり
今はモバイルネットワークになっている。
メディアが何に変わろうと
そこで起きるのは500年間変わらずに
虐殺と破壊と略奪、疑心暗鬼と狂気である。

パンドラの箱の底に、今は何が残っているのだろう。

 

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『「日本人論」再考』船曳建夫 著 2003年刊 NHK出版

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『「日本人論」再考』
船曳建夫 著
2003年刊 NHK出版

 

明治以降、数々書かれてきた
「日本人論」というものを振り返り
これから現実として形作られていくであろう
<日本人>について語られた本である。

とても有意義な内容であると思う。
明治から戦後までの「日本人論」に関する考察はなるほどと感じさせられるし、
現在の日本人的感性に関する考察には身に染みるものがある。

しかし、それだけの分析を重ねながらも、
これからの「日本人」像についてはとても曖昧な印象が残る。
まあ、それは現在を生きている「日本人」自身が
試行錯誤しながら形作っていくものではあるのだろうけれど…

 

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花に酔う ~長寿生の郷 梅まつり~

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大津市にある叶匠寿庵・長寿生の郷では

毎年3月に「梅まつり」が開催されています。

 

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長寿生の郷63 長寿生の郷14 長寿生の郷2

長寿生の郷40 長寿生の郷3 長寿生の郷74

 

ここにある1000本の梅の木は

大半が和菓子の原料になる梅の実を収穫するためのもの。

産業用の梅林です。

土地の確保と農産物の育成。企画・製造と販売まで

一貫して行われる元祖6次産業モデルです。

 

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この景色の中を歩いていると

単に花を眺めているというだけでなく、

<花に酔う>という感覚になります。

梅の三昧境というところでしょうか。

 

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長寿生の郷12 長寿生の郷10 長寿生の郷49

 

この「酔う」という日常から逸脱する感覚が、

観光でも、テーマパークでも、コンサートでも、

スポーツでも、宴会でも、祭りでも、花見でも、選挙でも

おそらく戦争や革命でも

最も重要な核心部分なのでしょうね。

 

それは人類社会を良くも悪くも

大きくも小さくも動かしてきたものでしょう。

 

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『不幸音信帳から見た村の生活』―信州上伊那郡朝日村を中心として― 有賀喜左衛門 著 1968年刊 未来社 『有賀喜左衛門著作集5―村の生活組織―』より 

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「不幸音信帳から見た村の生活」

―信州上伊那郡朝日村を中心として―
有賀喜左衛門 著
1968年刊 未来社
『有賀喜左衛門著作集5―村の生活組織―』より

 

柳田國男門下で日本の民俗学・社会学の大先生による研究
この「不幸音信帳から見た村の生活」は
日本の贈答分野の研究ではよく引き合いに出されます。
(初出は昭和9年『歴史学研究』2巻4号)

「不幸音信帳」とは贈答を記録した帳面
今風に言うなら、わが家の<おつきあいノート>
「音信」は「インシン」と読み
「音信物」といえば贈り物のことです。

とてもとてもプライベートなものですが
そんなものが日本の田舎には
江戸時代から残されているところがあって
それを蔵の奥から引っ張り出してきて
並べて比べる、という地味で
とても生活に密着した研究です。

この著作には他にも
葬式の時の役割分担のことや
さらに村の組織のことなどについても言及されており
そのあたりを読んでいると
村の一大イベントイベントが
葬式組を中心にジオラマ風に
再現されているような感じがします。

なかでも食事のあたりがおもしろい。
「板の間というのは料理方をいうのであって、
(中略)葬儀の料理は婚礼などと違って、精進であるから簡単であって、
(中略)例えば蒟蒻を茹で、細かく切り、これに芥子をかけたもの
(刺身の代用といっている)、ひじき、人参大根のあえもの…」

「自分達の食事や雑談のために
相当多くの時間を潰しているようなものであったに違いないけれども、
一方から見ればこれが円滑にことを運ばせる原動力にほかならなかった」
という感じです。

みんなが家々から食材を持ち寄って、
それを簡単な料理にして、食べて飲んで宴会している。
仲間で、ファミリーで、アットホームな雰囲気。
葬式がなんだかあたたかい。

しかし、そんな葬式も
音信帳に金銭の記載が増えて行くにつれて変化していく。
その変化を「不幸音信帳から見た村の生活」は
最後に、以下のように述べている。

「個々のひとが他に対する同情を持つだけの心のゆとりがなければ、
名ばかりの相互扶助は村落生活をいっそう苦しい、
潤いのないものに投げ込むのである」
「空疎化した隣人の義務の表現」
「形式的に、喪家へのつき合い関係の格付けによってほぼ一定している。
これは金銭の香奠になって来ていっそう、そうである」

 

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落日コレクション 26

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びわ湖周辺の美しい落日の風景

 

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瀬田河畔の夕景に舞う鳥の姿をカメラで追っていると、

眼に見えない風が視野の中を流れていくように感じる。

 

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鳥が飛び去ると

視界の中に夜が広がっていく。

 

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風がまだ肌寒いことを思い出す。

 

 

2017年3月14日 大津にて

 

 

NPO法人 ハピネス京都共同作業所さん

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京都市山科区のNPO法人

ハピネス京都共同作業所さんを訪問させていただきました。

 

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ハピネス共同作業所11 ハピネス共同作業所1 ハピネス共同作業所9

 

ハピネス京都さんはアートフラワーのレンタルや

様々な下請け作業をおこなっておられます。

 

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ハピネス共同作業所17 ハピネス共同作業所7 ハピネス共同作業所16

 

寺社の御守や護摩木なども作っておられます。

大量の御守に囲まれたありがたい場所、

御利益の素はここにありました。

 

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こちらはひな人形の骨組みに使われる針金。

お雛様には1000種類ものパーツと

それを組み合わせる高度な職人技が必要とのこと。

小さな仕事が京都の伝統産業を支えています。

 

ハピネス共同作業所6 ハピネス共同作業所8 ハピネス共同作業所21

 

使い込まれた機械類がたくさんあって

対応できる作業の範囲は広そうでした。

 

 

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枡3 枡1 枡4

 

塗り枡の記念品です。

海外で新製品のアピールに使われるとのことで

「日本らしさ」の印象が強いこの枡が選ばれました。

 

 

『キリスト者の自由 他』 マルティン・ルター 著 石原謙 訳  1955年刊 岩波文庫

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『キリスト者の自由 他』
マルティン・ルター 著 石原謙 訳
1955年刊 岩波文庫

 

ここに書かれている抽象的で格調高い宣言に
当時の民衆が共感したとは思えない。

「見よ、これが、心をあらゆる罪と律法と誡めとから
自由ならしめるところの・・・」と迫られても
多くの人びとは<なに、それ。まじ、ひくわ~>
であったのではないだろうか。
ルターを支持した領主たちも
<教皇権否定。それウケる~
でも、逆らったらコロす。>
くらいのことだったのだろう。
俗世の論理には神の入り込む隙間などないのである。

少なくともここ500年、この世に神がいたことなどない。
宗教改革で純化され、愛と義しか受け付けなくなった神は、
天上のクリーンルームから降りてくることができなくなった。
ちょっとでもそこから出たら
500年前と同じようにご利益の空手形にされて、
永遠に叶わない希望としてリツイートされ続けることになるだろう。

キリスト者の自由1

 

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『宗教改革とその時代』 小泉徹 著  1996年刊 山川出版社

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『宗教改革とその時代』
小泉徹 著
1996年刊 山川出版社

 

歴史教科書の出版実績で有名な山川出版社の
世界史リブレットシリーズの一冊。
教科書的な歴史でも少し角度を変えて深く掘ると
面白くてわかりやすいものに変わる。
歴史の中のそこが知りたい、そこが面白い
というツボをピンポイントで押さえながら
しっかりとした安定感もあるのは
熟練出版社ならではの職人芸だろうか。
信頼できる<キュレーション>というのはこういうものだろう。

天文学的粗製乱造とフェイクによって
混乱を極めている情報社会に生きていると、
宗教改革当時のカトリックの人たちが
当時の新メディアであった印刷技術に
懐疑的だった気持ちもわかる気がする。

彼らが現代に来たらきっと良識的にこう言うかもしれない
「歩きスマホはやめなさい、
・・・そこに神の意志は宿らないから。
大切なことは直接会って伝えなさい、
・・・それが義であるから。」

 

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