『日本中世の民衆像』 網野義彦 著 1980年刊 岩波新書

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日本中世の民衆像2

 

日本中世の民衆像
網野義彦 著
1980年刊 岩波新書

 

1979年に行われた岩波市民講座の講演記録もとに書かれた本
話し言葉で平易に書かれている
前半が平民像、後半が職人像となっている

 

 

以下、本文より…

年貢・公事をきちんと負担しているかぎり、移動の自由、武装の自由等々、
さきほどあげた平民身分の自由は保証されるといってよいと思います

・「貢」と「賦」が反対概念としてとらえられている。
「年貢」と書けば、さきほどのように年々奉るものであるのに対して、
「賦」のほうは「クバル」という訓に通ずるのでしょうか、
上から下に賜るもの、下のほうからいえば上からもらうものと
とらえられています。
献げるものに対s手、給わるものであるという考え方
、 これは、やはり常識からはずれるところがあります

・また、年貢の一部が「上分(じょうぶん)」として
神社などに納められる場合があります。
これは「御初穂料」などともいわれていますので、
「初穂」にあたるものであることは確実で
、 「日吉上分」「熊野初穂料」のように、金融の資本として使われることが多い。
いわゆる「借上(かしあげ)」です。
延暦寺や熊野三山の山僧たちは、これを融通して富を積んでいます。
これは「上分」が神の物という性格をもっていたこととおそらく関わりがある。
つまり、神物だからふみたおすわけにはいかない、
どうしても返済しなければならないわけです。

・東国諸国において、年貢は圧倒的に繊維製品で、米年貢は例外

・米作以外の非水田的な生産を展開しているところには
貨幣流通が早くから浸透し、年貢の代銭納も早い時期に行われる

・地子の場合、畠地子、塩浜地子、山地子などのように、
生産の場そのもの賦課されるのに対して、
年貢が原則的に田地に賦課される、
しかも非水田的な品物まで田地に賦課されるという点から、
否応なしに、いろいろな問題が派生してくることになります

・水田に非水田的な生産物を賦課するのですから、
当然そこに交換が必要になってくる

・近世の場合、ある意味では全国を全部水田にしてしまったことになります。
屋敷も畠も塩浜も山林も、漁場、さらには商工業の利潤まで
水田の石高に換算して、石盛(こくもり)を決めて米年貢をとるわけですから。
・何か借りたものを返すのが年貢で、
返せなかった借銭・借米として未進がとらえられている

・日本には古くから、中央から下ってくる貴人、
古代では国司などに対してさかんにもてなしをする習慣がある。
それうぃ古代では「供給」と書きまして、「クゴウ」あるいは
「タテマツリモノ」と読んでいるのですが、
これは三日間行われるのが通例なのだそうです

・その発言はみんなが耳で聞いているのだから
自分の主張は間違いないのだと、
その申状のなかでいっているのです。
これがまたとてもおもしろい。
その人は証文など一通も出していない。
それよりも、みんなが耳で聞いているということが
大事なことだったわけです

・鋳物師は、この廻船ルートにのって、
原料となる鉄を配給し、交易していたのですが、
また別に平安時代の末に廻船によって塩が売られているという
史料も出てきますので
とくに鉄と塩は、こういう廻船によって各地に供給されていた

・西の職人の天皇に対して、東の職人が頼朝に権威の源泉を求めている

・「異民族」というべき人々を、鎌倉時代までの日本社会は、
基本的には職人身分として扱っていた

 

 

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