食材のるつぼ ~錦市場 その3~

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錦市場にはいろいろな食材がありますが

水産物と青物、それから乾物が豊富です。

水産物は海の物の他にびわ湖の魚貝が多く並ぶのが特徴。

 

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その場で食べられる<EAT NOW SASHIMI OK!!>もあります。

 

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京野菜もいろいろ取り揃えられています。

 

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京野菜といっても、もちろん必ずしも京都産とは限りませんが、

こういうものは土地との結びつきや季節を強く感じさせます。

京の都の周辺には実りゆたかな地域がひろがっています。

 

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たまごもおいしそうです。

1個50円!

実は錦市場の物価は安くはありません。

 

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お茶や乾物、和風の香辛料も市場の有力商品。

様々な食材が混じり合った市場の中は

七味唐辛子のように刺激的で風味豊かです。

 

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★錦市場シリーズ 全7話

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漬物のるつぼ ~錦市場 その2~

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もしかしたら京都では、野菜といわれるものは

片っ端から漬物にされているのではないかと思う。

 

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種類が豊富で色とりどりで見ていて楽しい。

そして何かなつかしい感じがします。

ソウルフードなのかもしれません。

 

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その中でもやはり目立つのはこのしば漬けの色。

「はんなり」から上品さを引いた庶民的な色なのかな。

 

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野菜を保存食にしながら、さまざまなアクセントをつけて

バリエーションを増やしていきます。

 

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京都ですが奈良漬けもあります。

ここで見る奈良漬けは

京漬物が様々なバリエーションに発展していく以前の

ルーツ的存在のようにも見えます。

 

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★錦市場シリーズ 全7話

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人種のるつぼ ~錦市場 その1~

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京の台所、錦市場はいろいろなもののるつぼです。

まず外国人観光客のるつぼ。

 

英語や中国語、スペイン語やフランス語や

ドイツ語かそれに似た東欧っぽい言葉。

インドネシア語やタイ語らしき響きなど

さまざまなことばで満ちていて、

そららの国々の人たちのなかでもみくちゃになります。

 

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日本文化の中心の京都のど真ん中にいて、

日本人が少数民族であることを知ります。

 

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外国人観光客であふれるねぎ焼き屋は、

パリのカフェにでもなったかのようです。

 

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★錦市場シリーズ 全7話

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桜の独白 ~草津川跡地公園 夜桜~

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草津川跡地公園では、満開の桜が夜空を覆わんばかりに咲いていました。

騒々しいような艶めかしいような狂おうしいような複雑な雰囲気です。

 

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その姿をじっと見ていると桜の声が聞こえてきそうな気がします。

実力派舞台女優が真っ暗な会場を魅了する圧巻の独白。

 

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可憐なのに妖艶で健気なのに怨念に満ちているような、

妖精のような悪魔のような、悪夢のような天上の調べのような、

矛盾する絢爛さです。

 

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そんな夜桜の舞台背景は、はるかな月がひとつです。

 

 

 

川底の使い方 ~草津川跡地公園 de愛ひろば~

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平地よりも川底が高い「天井川」として有名だった旧草津川。

以前は国道1号やJR東海道本線が川の下をくぐるという場所でしたが、

今は治水のために新しい川が作られ廃川となりました。

その跡地が公園として整備中で、一部が今月(2017年4月)

オープンしました。

川の跡なのでものすごく細長い公園になりますが、

とてもきれいに整備されています。

 

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ただ、人口の多い町の中心部に近いあたりはいいとして

下流の方では利用する人が少ないかもしれないのが気がかりです。

利用されないと荒れていくし、税金も無駄になりますからね。

 

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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 M.ウェーバー 著 中山元 訳 2010年刊 日経BPクラシックス

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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
M.ウェーバー 著 中山元 訳
2010年刊 日経BPクラシックス

 

新訳で読みやすくなった『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
100年以上前の社会学の本なので、現在とは感覚の違いも感じますが、
今でも(翻訳で読んでも)堂々とした印象を受ける名著です。
キリスト教文化圏にいない者にとっては、
細かい宗派の違いなどはわかりにくいですが、
それでも<宗教>から<産業>への大きな流れには深く納得させられます。
<呪術からの解放>から<鋼鉄の檻>への展開はドラマチックで、
この本自体が神話化する理由でしょう

 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(中山訳)3 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神11 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神10

 

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鳩のいる河畔にて ~瀬田川 桜~

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瀬田川の桜もそろそろ満開が近づいていますが、

天候はいまひとつ冴えません。

 

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それでも雨に洗われた花々は透き通るようにきれいです。

 

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蕾の先の水滴は桜の雫といった感じです。

 

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「梅に鶯」といいますが、桜の咲く瀬田の河畔には

太り気味の鳩しかいません。

 

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鳩にはあまり季節感がありませんが

愛嬌はあります。

 

『ルネサンス文化と科学』 澤井繁男 著  1996年刊 山川出版社

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『ルネサンス文化と科学』
澤井繁男 著
1996年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

ルネサンス期に起きた意識の変化、
世界観の劇的な変化を当時の日記などを手掛かりにたどる内容である。
ブルクハルトの言う「世界と人間の発見」とは
客観的な視点で見た自分とその自分が関わる世界という意味であろう。
神の眼という客観性から、第三者的な承認という客観性へのテイクオフ。
そこで開けた視界の中に法が整備されマネーも流通するようになった。
国家やメーカー、金融機関による保証がネットの「いいね!」や
ブロックチェーンの承認の連鎖に変わっていくようなものであろう。
そこには移行期の不安定さがあり、一種の「死の谷」があったはずだ。
その「死の谷」を飛び越えさせたのがオスマン帝国や黒死病の衝撃であったろう。
それまでの信仰は侵略からも病からも人々を守れないという
現実を突きつけられ目からうろこが落ちたということだろう。
これが後の宗教改革や産業革命の出発点となる意識の転換点、
<客観性革命>とでも言えるものなのだろう。

 

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『国民国家とナショナリズム』 谷川稔 著  1999年刊 山川出版社

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『国民国家とナショナリズム』
谷川稔 著
1999年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

人は人とつながるために、人類史の始りからずっと、
何万年か何十万年かもしかしたら何百万年かかけて、
数えきれない発明を繰り返してきた。
国家やナショナリズムももちろんその発明のひとつである。
かなり古びているし、隙間だらけでガタガタであるが、
今でも最強、最大の発明である。
何億人もの人がつながるSNSもあるが、
それは無数の小さな集団の寄せ集めに過ぎない。
ビッグデータが世界中の人々を
様々な切り口でどのような集団に分類しなおしても、
人々は分類された集団に対して忠誠心など抱かないだろう。
おそらくナショナリズムのような強力な結びつきには、
<身体性>のようなものが不可欠なのではないだろうか。
人間の五感を規定しているものの連続性の意識が引く境界線が
ナショナリズムの原初的なもの、すなわち<ふるさと>
と 呼ばれるものなのかもしれない。

 

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乙女のナショナリズム ~ミュシャ展 国立新美術館~

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ミュシャ展16

ミュシャ展53 ミュシャ展49 ミュシャ展37

 

日本でとても人気の高い画家であるミュシャ。

繊細で精巧で装飾的な

彼の夢見るポスターの数々は

日本の乙女たちまたは少女漫画の世界にとってのまさに神。

 

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この下書きの絵を見ていると

<その頃、村では春祭りの準備がすすめられていた>

というト書きと

「わしも、もうとしじゃからのぅ」「しっかりしなよ、じいさん」

「あんた好きな子でもできたのかい?」という吹き出しが入って

 

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そこから健気な少女の冒険ラブロマンスが始まりそうな気配である。

 

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そのメルヘンなミュシャが劇画タッチの歴史大長編に挑んだのが

「スラブ叙事詩」であり、

その作品は現在東京の国立新美術館で公開されている。

(2017.3/8~2017.6/5)

 

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「スラブ叙事詩」はミュシャが後半生のすべてをかけた

全20枚の巨大な絵画作品で、

大きなものは幅が8メートルもある。

 

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それまで制作していたポスター作品の

数十倍から100倍にもなるサイズである。

単純計算するとポスター2000枚分の労力を傾けた作品

ということになる。

 

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なぜ、それだけの大きさでなくてはならなかったのか。。。

もちろんそれだけの「気合い」と「意気込み」の

あらわれでもあったのだろうけれど、

それよりもこの作品が民族主義・ナショナリズムの

<舞台装置>として位置付けられていたからなのではないだろうか。

 

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等身大で鋭くこちらを見つめる人物たちは

その絵の鑑賞者をスラブ民族世界へ強く誘う。

その誘い方は消費者を商品世界へ誘うポスターの手法として

ミュシャが確立していたものだろう。

 

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この有名な作品の前に集まる人たちを見ていると、

絵の中の人々とその絵の多くの鑑賞者たちが

一体の群衆になってしまったかのように感じる。

絵が人々を熱狂的な「民族」の世界に巻き込んで、

神話の前に新たな「国民国家」を築こうとしているかのようである。

 

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しかしその周到な民族主義的表現の果てには、

意外にもナチズムの幻が現れ

この一枚は放棄されることになった。

 

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壮大な物語が作者の意図を超えてしまったのである。

 

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そして平和の大団円になるはずだった最後の一枚には、

近代国家間の鋭い対立が見え隠れするようだ。

 

二次元の装飾的空間は

ミュシャとその乙女たちにとって

予定調和的な安全で平和なものであった。

ポスターの女性像の背景に描かれた円は

その平和の領域を示すものだった。

 

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しかし、その閉ざされた円環から

奥行きと時間のある世界に飛び出した彼は

未来の見通せない複雑な現実と向き合い

巨大な作品群れの迷路の最終局面で

失意の袋小路に追い込まれることになる。

 

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この1枚は現実世界での乙女の未来、

現在の民族対立と難民の世紀の報道写真のようでもある。

ミュシャの生きた時代には写真技術の発達によって

既に現実が即座に写し取られるということが始まっていた。