『ルネサンス文化と科学』 澤井繁男 著  1996年刊 山川出版社

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ルネサンス文化と科学1

 

『ルネサンス文化と科学』
澤井繁男 著
1996年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

ルネサンス期に起きた意識の変化、
世界観の劇的な変化を当時の日記などを手掛かりにたどる内容である。
ブルクハルトの言う「世界と人間の発見」とは
客観的な視点で見た自分とその自分が関わる世界という意味であろう。
神の眼という客観性から、第三者的な承認という客観性へのテイクオフ。
そこで開けた視界の中に法が整備されマネーも流通するようになった。
国家やメーカー、金融機関による保証がネットの「いいね!」や
ブロックチェーンの承認の連鎖に変わっていくようなものであろう。
そこには移行期の不安定さがあり、一種の「死の谷」があったはずだ。
その「死の谷」を飛び越えさせたのがオスマン帝国や黒死病の衝撃であったろう。
それまでの信仰は侵略からも病からも人々を守れないという
現実を突きつけられ目からうろこが落ちたということだろう。
これが後の宗教改革や産業革命の出発点となる意識の転換点、
<客観性革命>とでも言えるものなのだろう。

 

ルネサンス文化と科学2

 

以下、本文より・・・

 

・ブルクハルトはルネサンスの特徴として、
「世界と人間の発見」をあげている。
・普通ルネサンス時代と呼ばれるのは、
14世紀中葉のペスト席捲から
16世紀末のジョルダーノ・ブルーの火刑までとされている。
したがって16世紀の後期に執筆された『カルダーノ自伝』は、
後期ルネサンスの記念碑的著作
・カルダーノは、たとえそれが信じられない奇妙奇天烈なものであっても、
先入観抜きでありのままに記していく。
つまり事実の率直に向き合い、
事実をもって事実に語らせるのである。
近・現代のものとは多少とも異なるが、
彼の「科学的世界観」は事実にはすべて原因があるとみ、
その発見への強い衝動を彼は終生もちつづける。
しかし原因認定の方法に批判性は看取されない。
←ルネサンス文化の特徴
・この生命還流と秩序的連鎖の思想は、
近代(科学)の思想とも中世キリスト教の思想とも無縁なものである。
まさにこれこそが、古代のプラトン主義的、ヘルメス的な生命観なのである。
←デッラ・ポルタ『自然魔術』 16世紀中葉
・人間は末端の部分に属するのだが、
人間の魂にだけ一片の知性が潜んでいて、別の上昇が許されている。
プラトン哲学にアリストテレスのヌース(知性)の哲学を取り入れた
プロティノスの哲学が、新プラトン主義の主調音となっている。
・魔術とは自然界のさまざまな事象を
経験的・実地観測的に研究する学知であり、
妖術などの魔法とは異なる。
したがって、自然界にたいして
完璧な知恵と知識をもつ者が魔術師と呼ばれる。
←デッラ・ポルタ
・自然魔術であれ、妖術であれ、そもそも魔術というものは
非キリスト教的な自然観、非近代科学的な自然観をもつものなのである。
歴史的にみて、魔術ははじめキリスト教の自然観と対立し、
その自然観から近代科学が生まれてくると、
こんどは近代科学の自然観と対立して魔法と化してしまうのである。
・キリスト教の自然観から近代科学が生まれるときに、
自然魔術が経験主義的な知的態度を与えているということ
→デッラ・ポルタ
・カルダーノ 1501-1576 イタリア・ルネサンス後期
自身の<知>と<生活>が癒着
<知>を書くためにまずその前提として<生活>に筆がおよんでいる
<知>というものが完全に独立したものではなく、
<生活>(あるいは夢、守護霊、天啓)といった殻があって
はじめて存在を主張しているといってよかろう
・ヴィーコ 1668-1744 啓蒙主義の前段階
学問を学問として、<知>を<知>として追い求めた
<知>と<生活>はそれぞれ一つ独立系
日記を三人称で書く
・人文主義はある意味で、古典的教養を糧とした自己再生
―いかに現実を乗り切るか―をむねとしている。
そのために古典の熟読、熟読をとおしてえられた古代人の叡智が
自己の栄養となり、獲得されたその知が
自己のアイデンティティー確立の試金石となる。

 

 

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