『国民国家とナショナリズム』 谷川稔 著  1999年刊 山川出版社

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国民国家とナショナリズム1

 

『国民国家とナショナリズム』
谷川稔 著
1999年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

人は人とつながるために、人類史の始りからずっと、
何万年か何十万年かもしかしたら何百万年かかけて、
数えきれない発明を繰り返してきた。
国家やナショナリズムももちろんその発明のひとつである。
かなり古びているし、隙間だらけでガタガタであるが、
今でも最強、最大の発明である。
何億人もの人がつながるSNSもあるが、
それは無数の小さな集団の寄せ集めに過ぎない。
ビッグデータが世界中の人々を
様々な切り口でどのような集団に分類しなおしても、
人々は分類された集団に対して忠誠心など抱かないだろう。
おそらくナショナリズムのような強力な結びつきには、
<身体性>のようなものが不可欠なのではないだろうか。
人間の五感を規定しているものの連続性の意識が引く境界線が
ナショナリズムの原初的なもの、すなわち<ふるさと>
と 呼ばれるものなのかもしれない。

 

国民国家とナショナリズム2

 

以下、本文より・・・

 

・当時「ドイツ」には314の領邦国家が分立していただけでなく、
そのほかにも1475もの帝国騎士領があり、
あわせれば1789のものぼる自立的権力が併存していた
←19世紀はじめ
・このモザイクを強引に整理統合したのがナポレオンである。
「初めにナポレオンありき」とは、
ドイツの歴史家ニッパーダイの言葉
・ライン左岸のドイツ人たちは、
いわば「廃藩置県」と「民主憲法」を「押しつけられた」のである。
・ナポレオンは国民国家形成の「触媒」として機能した
←ドイツ、「上から革命」、バイエルン、バーデン、ヴェルテンベルク
・「ドイツ国民に告ぐ!」←1807年フィヒテ
・「ドイツは一つの国民、一つの民族、一つの国家である」←フンボルト
・「ドイツ語の響くところ、すべてドイツなれ!」←アルント
(19世紀はじめではドイツに国民意識はない。)
・ドイツの国民形成は領域の歴史的連続性基礎にできなかったため、
言語や人種というエスニックな要素に依拠せざるをなかった

・大革命(フランス革命)以降のフランスは
共和主義的公民を形成するのに苦しみつづけた。
「自由・平等・友愛」という共和制原理が、
アンシャン・レジーム下のカトリックにとってかわる、
市民の疑似宗教となるのに一世紀以上の時間を要している。
・19世紀のフランス史は、共和派とカトリックの
文化統合をめぐるヘゲモニー闘争の歴史でもあった
・万国博覧会という産業科学ナショナリズムにの祭典に、
フランス革命とういう政治的ナショナリズムの顕彰がドッキング
・フランス革命100年祭にみられる一連のセレモニーは、
文字どおり建国神話の創出と形容できるだろう。
国民意識発揚のための、こうした「記憶の制度化」に、
歴史学もおおいにかかわっている。
・共和国の建国神話は「科学的」歴史学によって聖別された
・小学生に「祖国」観念を注入し、共和主義的公民をつくりあげる、
国民教育の「バイブル」的存在←『プチ・ラヴィス』
・初等教育の「無償・義務・世俗化」
・啓蒙主義的ナショナリズムから国民国家ナショナリズムへの変容
←普仏戦争

・国民統合のドイツ・モデルでは入り口で
セグレガシオン(選別)が厳しくおこなわれており、
人種的・排外主義的国民形成に陥りやすいが、
そのために内向きには強制的・集権的同化政策をとる必要はないということになる。
・「決闘と民族を基本にするエスニック的、系譜的ネイション」
←アントニー・D・スミス

・公共空間での世俗性原理の遵守というフランス的文化統合政策
←ムスリムのチャドル(スカーフ)禁止

・「帝国意識」が絆となり、両国民に
(1)大英帝国臣民、(2)ブリティッシュ、
(3)スコティッシュなししウェルシュ、
という三重のアイデンティティ複合をもたらした
・ジェントルマン資本主義
→大英帝国の繁栄とイギリス資本主義を支えたものは
産業資本家層ではなく、金融投資家した地主貴族
(ジェントルマン資本家)だった
←ケインとホプキンズ

・EUという超国家的な結合体のおかげで、
従来の国民国家のたががゆるみ、
地域レヴェルのマイノリティ運動や
エスノ・ナショナリズムの暴発をまねくのではないかという危惧
・マルクシストやアナーキストによれば、
「国民意識なるものは共同幻想であり、
国民国家という概念はブルジョワ国家の階級性を隠蔽する
欺瞞的な言説にすぎない」とされている。
・「ナショナリティとナショナリズムは文化的人造物である」としたうえで、
それらは「18世紀末にいたっておのずと蒸留されて創りだされ、
ひとたび創りだされるとモジュール
〔規格化され独自の機能をもつ交換可能な構成要素〕となって、
多かれ少なかれ自覚的に、
きわめて多様な社会的土壌に移植せきるようになった」
←アンダーソン『想像の共同体』
・「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治的共同体である」
←アンダーソン『想像の共同体』
・「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。
ナショナリズムとは、もともと存在していないところに
国民を発明することだ」
←ゲルナー
・「近代工業化社会の構造的必然」←ゲルナー
・近代の印刷資本主義がもたらした「想像の共同体」←アンダーソン
・エスニーが国民と違うところは、歴史的領土の有無にかかわらないこと、
いまだ法的一元性、経済的一体性をもたないことである
←アントニー・D・スミス
・記憶の動員には、歴史的体験の共有ないし文化的類似性という
「受け皿」が必要なのである。
国旗であれ国歌であれ無名戦士の鎮魂碑であれ、
合理的な根拠はいらない。
むしろエスニック的で情緒的一体感を醸成するものが望まれる。
それこそがナショナリズムの生命力の根源である。
・「ナショナル・アイデンティティの第一の機能は、
人びとを個人的忘却から救い出し、集団としての信仰を取り戻すべく、
強力な『歴史と運命の共同体』を提供することにある」
←スミス
・ナショナリズム、それは国民を一つの親族、
あるいは一大誓約集団になぞらえる運動である。
・ナショナリズムはいろんな意味で宗教にもっとも近い機能をもっている。
それゆえ、ナチズムであれ自由主義であれ社会主義であれ、
どのようなイデオロギーとも結びつくことができる。
まことに融通無碍な世俗的民族宗教だと言い換えてもよいだろう。
・国民国家への帰属意識が相対的にうすれると、
より小規模なエスニーや伝統的な宗教的共同体に
アイデンティティの拠り所を求める動きが出てくる
・「国民国家、それは戦争である!」←ミッテラン

 

 

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