波打つ箱モノ ~国立新美術館~

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東京・六本木の国立新美術館。

黒川紀章デザインの波打つアトリウムと、

ビックサイトの別館かと思わせるほど広い面積が特徴。

 

国立新美術館12

国立新美術館10 国立新美術館9 国立新美術館8

 

そして特に美術館としてのコンセプトがない、

というのも特徴であるらしい。。。

さらにいうと「新美術館」という特徴のない名前も特徴。

いわゆる<箱モノ>としての特徴を備えているのも特徴。

だから逆にこれは単なる箱ではないと主張するために

大胆に建物を波打たせたのかもしれない。。。

 

国立新美術館6

 

でも東京の箱モノにはそれなりに需要があるようだ。

人口が多いので常に供給以上の需要が発生していくのであろう。

 

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もちろん東京基準で地方に箱モノを作っても

東京基準の需要が発生するわけではない。

 

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隅田川を流れるエートス ~夜の永代橋~

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ライトアップされていない夜の永代橋は観光的な魅力には欠けるのだが、

よく見ると橋とタワーマンションが上手く対比していることに気付く。

永代橋がスタイリッシュに見える。

 

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橋梁に打ち込まれた無数の鋲を前景に

タワーマンションに灯る無数の明かりを見ると

大正時代の近代建築遺産を通して

現代建築の到達点を眺める形になるのである。

 

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逆にタワーマンションの側から見ると

永代橋は自らの原型となった近代建築の故郷ということになるだろうか。

 

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元来永代橋は実利的合理主義の申し子で、

それは江戸の武家政権の根幹にあった

質実剛健の精神(エートス)を受け継いでいるはずである。

 

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隅田川を流れているのは江戸の情緒だけではないようだ。

 

 


★隅田川にかかる橋シリーズ

 

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ノスタルジーとテクノロジー ~昼の永代橋~

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大正15年、関東大震災の復興事業として再架橋された現在の永代橋。

 

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当時の最新式だったこの鉄の橋は、90年後の今では国の重要文化財。

隅田川のノスタルジーになっています。

 

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2度の落橋によって多くの犠牲者を出したこの橋を

現在支えているのはこの部分。

現代の耐震テクノロジーです。

 

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隅田川とそこに架かるいくつもの個性的な橋と飛び交うゆりかもめは

観光船で行き交う多くの人々を楽しませているようです。

 

 


★隅田川にかかる橋シリーズ

 

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橋の下の夜景 ~首都高速 隅田川大橋~

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隅田川を渡る首都高速隅田大橋。

隅田川にかかるたくさんの橋の中で

特に有名なものでもなく、

それどころか目障りとさえ言われるこんな所を

夜中に訪れる人はありません。

 

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でも川面に映る道路の光はひっそりときれいです。

 

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スカイツリーはかなり遠くにあるのに、

それでも手前の橋の光と同じように

ちゃんと水に映るというのが

少し不思議な気もします。

光が見えているのだから映るのは当たり前と言えば当たり前か。。。

 

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★隅田川にかかる橋シリーズ

 

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桜のヒストリー ~千鳥ヶ淵~

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都内有数の桜の名所である皇居の千鳥ヶ淵。

ここが桜の名所になったのは明治の後半以降であるらしい。

 

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隣にある靖国神社への献納から始まったということや

場所柄から考えて始まりは質素なものであっただろう。

 

皇居34 皇居28 皇居24

 

それが大戦によって戦没者が一気に増えたことと

桜の成長が重なってこの場所への注目度が上がったのではないだろうか。

戦争の大衆化が千鳥ヶ淵を桜の名所として準備した。

 

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そして戦後、桜は慰霊の象徴から平和の象徴へと変わり、

さらに高度成長期には手軽なリクリエーションのシンボルになった。

そこから見える東京タワーとのセットとして。

 

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この場所を訪れたときは、まだ咲いている桜は少なくて、

歴史になぞらえてみるなら大正のおわり頃くらいだろうか。

 

 

日当たりのいい大手門の桜は早めに見頃を迎えていた。

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花を見るにはまだ早かったけれど

お土産品は桜のべっこう飴は十分にお花見気分にしてくれた。

 

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