『主権国家体制の成立』 高澤紀恵 著  1997年刊 山川出版社

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主権国家体制の成立2

 

『主権国家体制の成立』
高澤紀恵 著
1997年刊 山川出版社

 

山川出版社の世界史リブレットシリーズの一冊。

ルターが開けたパンドラの箱、そこから始まるキリスト教大分裂。
虐殺と破壊と略奪、疑心暗鬼と狂気の100年。
最後の最後に箱の底に残ったのは近代の<理性>であった。
そしてその箱は<主権国家>と呼ばれるようになった。

この時代の光景は、現代の破綻国家の姿と重なる。
当時のプロパガンダは印刷で行われ、
現代のルワンダではそれがラジオに変わり
今はモバイルネットワークになっている。
メディアが何に変わろうと
そこで起きるのは500年間変わらずに
虐殺と破壊と略奪、疑心暗鬼と狂気である。

パンドラの箱の底に、今は何が残っているのだろう。

 

主権国家体制の成立1

 

以下、本文より・・・

 

・三代にわたる結婚政策のすべての果実を一身に享受したのが、
「最後の皇帝」カール5世←ハプスブルク家
・カールは、それぞれ独立した法や制度、伝統をもつ地域を
個別に相続したのであり、大帝国もいわばその積み重ねにすぎない。
・1477年に最後のブルゴーニュ公シャルル勇胆王が亡くなったおり、
封主であるフランス王がこれを併合した。
しかしシャルルの一人娘マリーはハプスブルク家に輿入れしており、
カール5世はその孫にあたる。 ←安定のための縁戚関係が争いの種に。
・カール5世の普遍的帝国への夢はもはや過去のものとなっていた。
かわって姿をあらわしてきたのは、自らの利害を冷徹に追求する
いくつもの主権国家群であった。
・ヨーロッパ規模で生じたこの宗教戦争は、
各地域で主権国家形成を促進する起爆剤として働いた。
・都市や農村、騎士や農民といった多様な階層、
多様な状況に生きる人びとは、
自らのコンテクストで新しい福音の知らせを聞き取っていた。
それは深刻な政治的、社会的混乱をもたらさずにはおかなかった。
・カトリックの普遍性の喪失←アウクスブルク宗教平和例 1555年
・カール5世の帝国政策を財政的に支えてきたのは、
この繫栄するネーデルランドであった
・ネーデルランドの独立の過程は、強国スペインに
周辺諸国があい拮抗する国際関係のなかでこそ理解されなくてはならない
・「宗教は16世紀にはナショナリズムをあらわす言葉であった」
←ネーミア
・ユグノーたちは、とくに「聖バルテルミの大虐殺」のあとで、
暴君と化した王権にたいする抵抗の理論をきたえあげた。
・17世紀の100年間、ヨーロッパに戦火が消えたのはたったの4年間
・「マクデブルクの蹂躙」1631年 3万人の人口の8割を皇帝軍が虐殺
・プロテスタント側、カトリック側どちらも
純粋な使徒的情熱で動いていたとはとうていいいがたい
・そこで仮面を脱ぎ捨てて屹立するのは、
個々人の道徳律をこえた国家の論理、「国家理性」であった
・(ウェストファリア条約の合意には4年近い歳月が必要であった)
・戦争の恒常化は、武器や戦術の進歩を促し、
軍隊の制度や軍と社会の関係に大きな変化を迫ることになった。
・火器の使用にともなうこのような戦術の変化は、
これまでに比べてはるかに大量の兵士、とくに歩兵を必要とした。
戦闘のたびに動員される兵士の数は、この時期に飛躍的に増大する。
・短期的に大規模な軍隊を用意←この時期に特徴的な戦争企業家、傭兵隊長の活躍
・15世紀のイタリアからあらわれた傭兵隊長たちにとって、
戦争とは富をえるための機会、投資の対象であった。
・ヴァレンシュタイン(1583-1634)
←ベーメン出身の大傭兵隊長。皇帝軍の総司令官の地位を得る。
15万の兵を擁する巨大勢力
・あまりに強大な軍事力を手にし、
あたかも一個の怪物と化したヴァレンシュタインは、
皇帝自身のコントロールからも離れ、独自の外交交渉さえ始めるようになった。
・皇帝の放った刺客が、彼の波乱に富んだ生涯を葬りさる。
一世を風靡した傭兵システムの終焉を予告するできごとであった。
・常備軍の時代が到来しつつあった。
ヨーロッパでいち早く常備軍を創設したのは、フランスである。
・徴兵制のこの先駆的形態は、カール9世、グスタフ・アドルフの治世に
すでにスウェーデンで始められた制度
・兵器や軍隊制度の一層の「発展」は、
暴力装置をしだいに国家の占有物としていく。
・君主、あるいは国家のみが、高価な武器をそろえ、
大量の兵士を養い、戦争を遂行しうる力をもつことができた。
逆にいえば、軍事行政の整備にみるような国家の発展のみが、
これほどの人と武器、資源の動員を可能にしたのである。
・主権国家は、まさに戦争のなかから生まれてきた。
・常備軍の維持は、国家に恒常的な税収入が確保されてはじめて可能となる。
・大傭兵隊長、ヴァレンシュタインは、
「戦争が戦争を養う」の原則にもとづき、
占領地にもれなく重い軍税(コントリブツィオン)をかけ、
地方長官にこれを徴集させるシステムをつくりあげた。
・対スペイン戦争の渦中にあった翌1636年から
1660年までの平均支出額は、1630年以前の二倍の水準を割ることはなかった
←フランス
・結局は「臨時財政措置」として公債の発行や
短期借款などの借金政策に頼るほかなかった。
王権に膨大な金を貸しつけたのは、徴税請負人たちであった。
王権は、将来の税収をかたに彼らから借金をしたのである。
かわって徴税請負人は、代理人を使って直接に税を徴収し、
貸しつけた金を回収する権利を与えられたのである。
・戦時体制にともなう徴税の強化は、
旧来の統治機構変容させ、王権と直結した地方監察官の浸透に
決定的な画期となったのである←宰相リシュリュー
・「緊急事態」の恒常化が、王権に広範な自由裁量権を与え、
徴税機構をはじめとする国家装置の発展に寄与した
・「戦争の本質は四つの項目にまとめることができる。
すなわち、人員、金、秩序、および服従である」
←スペイン宰相オリバーレス 1637年
・フランス語の美化と統一を目的としたアカデミー・フランセーズの設立
←1635年 国語辞典の編纂と文法の制定
・王権が用いた手段は、プロパガンダに終わらない。
この時期フランスの法学者たちは、
「神と国王にたいする大逆罪・不敬罪」の学説を発展させた。
さまざまな犯罪、刑罰の頂点におかれたこの罪の名において、
宗教的、道徳的、社会的、そして政治的な秩序を乱す意思表明は、
すべて弾圧の対象とする道が開かれた。
・1627年、王権の禁じる決闘をおこなった罪で、
二人の貴族が処刑された。
決闘とは、貴族が自らの手で「名誉」を回復する慣行である。 16世紀の終わりから王権はこれを禁じ、有罪化していった
・秩序の回復と維持は、王権にのみ委ねられている
・暴力を国家が独占する過程
←貴族のもつ価値観、アイデンティティは大きな挑戦を受けた
・「絶対主義とは実際、昔ながらの均衡秩序を退ける力であると同時に、
臣民各人のうちに服従という個人的感覚を生産するための方法であった」
←ミュッシャンブレ
・だれにでも理解され、どこでも通用する自然法は神によってではなく、
理性に基礎づけられたとする彼の自然法理解は、
神学からの明確な分離を示し、
世俗的な主権国家相互の国際法を追求する
のちのプーフェンドルフやヴァッテルらへの道を
確実に切り拓くものであった。
←フーゴー・グロティウス(「国際法の父」) 1583-1645
・「一つのキリスト教共同体」にかわって、
より世俗化された「ヨーロッパ」がたしかにそこには生まれていた。
このヨーロッパでは、かつてのようなあいまいな緩衝地帯としてではなく
明確な国境線によって分かたれ、せめぎあう小域的な主権国家群の
緊張に満ちたドラマが展開されていく

 


 

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・『宗教改革の真実』 永田諒一 著

・『宗教改革とその時代』 小泉徹 著

・『主権国家体制の成立』 高澤紀恵 著

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・『500年後の誘惑 クラーナハ展図録』グイド・メスリング 新藤淳 編著

・『宗教改革』 オリヴィエ・クリスタン 著

・『キリスト者の自由 他』 マルティン・ルター 著

 

 

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