『ナショナリズムの歴史と現在』 EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳 2001年刊 大月書店 

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『ナショナリズムの歴史と現在』
EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳
2001年刊 大月書店

 

19世紀の初めには王の霊的な権威が地に落ちて
その世紀の終わりには
「善良なる神が、もう一度私たちに平和をお与えくださりますれば」が、
「社会主義者たちが平和の実現をめざしているそうだ」に変わった。
世紀が変わると、神様のいないネイション―ステイトは
産業と戦争のための巨大な機械になっていた。
世界中の人々を100年間熱狂させ続けたナショナリズムは
文化の問題を装いながら
<その核心において>は
<権力や地位や政策やイデオロギー>の問題であった。
現在はその本質がどんどん露になって、
ナショナリズムは
虐殺による権力奪取を正当化するための口実でしかなくなった。

 

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『ナショナリズム入門』植村和秀 著 2014年刊 講談社現代新書

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『ナショナリズム入門』
植村和秀 著
2014年刊 講談社現代新書

 

ナショナリズムの用語、概念の解説から
日本をはじめとする世界の地域ごとのネイションの作られ方の違い、
その歴史、問題点、現状を追って
最期にネイションと政治の関係を考えるという
とても真っ当な入門書。
国家と国民と民族が一致するのが
当たり前のことだと理解する日本の特殊性と
それが一致しないことで起きている膨大で甚大な悲劇。
それを知らないと、知ろうとしないと
<日本は平和でよかったね。世界は日本を見習えばいい>
というような全く的外れなことを語りかねない。
いや、日本人の過半数は多分それに近いイメージを抱いているだろう。
日本人の民族、宗教、平和に対する感度は低い。
そしてただ平和を享受しているだけでは、平和を愛せるようにはならない。

 

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『ナショナリズムは悪なのか』萱野稔人 著 2013年刊 NHK出版新書

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『ナショナリズムは悪なのか』
萱野稔人 著
2013年刊 NHK出版新書

 

国家とナショナリズムと近代に関するわかりやすい議論である。
ウェーバー、ゲルナー、アンダーソンから
ドゥルーズ=ガタリ、フーコーへと順を追って進められていく。
現実に即した世界の読み方である。 基本的にはいい内容だと思う。
だからこそ、あまり日本の人文思想界を批判する必要はないと思う。
批判に傾くと論旨が定まりにくくなる。
批判を入れるにしても議論の端々で軽く触れるくらいで十分だろう。
読者は批判を読みたいわけではないだろう。時間の無駄である。
それから引用が長くなり過ぎて、議論の方向が不安定になるような気もする。
編集に問題があるのかもしれない。

 

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やすらぐ船 ~瀬田唐橋 夜景~

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昼間は雑然としている瀬田唐橋周辺ですが、

夜に浮かび上がる景色にはなかなか趣があります。

 

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昼間は煩い自動車も、夜景では光を添えてくれます。

光の柱が橋を支えているようにも見えます。

唐橋の向こうには新幹線の光が長い帯になって見えます。

 

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昼間は出かけている船も

夜には小さな港に帰宅してやすらいでいます。

 

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恵みの藤 ~三大神社~

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草津市の三大神社の藤。

小さな村の小さな神社ですが、樹齢400年のこの「砂擦りの藤」は有名で、ゴールデンウィーク前後は老若男女多くの人たちと、蜜を求めて集まる蜂たちで賑わいます。

 

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この時期は協力金として200円が必要で、テントで地域産品の販売もされるので、小さな神社としてはかなりの大きな収入源になるでしょう。

400年間守って来たかいのある恵みの藤の木です。

 

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彼岸の気品 ~水生植物公園 みずの森 立夏2~

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蓮の季節はまだ少し先ですが、みずの森ロータス館では次第に花の数が増えてきています。

 

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繊細に作られた蝋細工のような美しさです。

 

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開花の姿は花の中に光が灯るかのようです。

 

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雪のような剣のような炎のような花

 

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この黄色と紫の組み合わせにはスペクタクルなものさえ感じます。

 

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そして水に映る姿には、この世のものではない彼岸の気品

 

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アヤメの混乱 ~水生植物公園 みずの森 立夏1~

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よく似た花で、その区別の仕方が植物解説の定番となっているアヤメとハナショウブとカキツバタ。

違う花といっても同じアヤメ科アヤメ属なので、まとめて「アヤメ」もしくは「アイリス」としておけば多分学術的に正しい。

 

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それでもその区別にこだわりを求められるのは、「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という、今では誰も使わないややこしい故事成句があるためである。

 

このそのややこしい言葉を中世以来何百年もの間、人々が日常的に使っていたかという疑問もあるが、園芸が極めて盛んだった江戸の町ではそれなりに意識されていたのかもしれない。

 

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もしずっと語られ続けているのだとしたら、いいかげん決着してもよさそうなものだが、いまだにややこしいままなのは、実はアヤメとカキツバタの区別などほとんどの人にとってはどうでもいいことだからなのだろう。

 

だとすれば「いずれ菖蒲か杜若」は、<どうでもいいことに延々とこだわり続ける様>というふうに、意味が転じていくかもしれない。

 

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こちらは遠くから見るとちょっとアヤメっぽいけれど、よく見るとあまり似ていないラン科の「シラン」

 

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アヤメとカキツバタの区別よりも、アヤメとランを区別を先にしたほうがいい。

 

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こちらはアヤメにはまるで似ていないけれど、独特な花の色がとても魅力的なアヤメ科の「イキシア ビリディフローラ」

 

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こちらはアヤメのように仰々しくもややこしくもない可憐なアヤメ「シャガ」

 

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そしてこちらはアヤメでもランでもないマメ科の「フジ」

 

ますますややこしくなってきた。。。

 

 

花の求婚者たち ~石山寺 晩春~

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春の終わりにあでやかに咲き誇る花の王牡丹。

二十四節気・七十二候で「牡丹華(ぼたんはなさく)」の時期、石山寺の牡丹園でも今が満開で、春の驟雨に洗われた後は一際鮮やかです。

 

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「唐獅子牡丹」や「緋牡丹博徒」など任侠映画のイメージも強く、着物の柄の代表でもありますが、そういう紋切り型の和風イメージを超えて、全力で咲くこの花は美しいです。

 

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花の魅力が全開になると、そこには多くの虫たちも集まってきます。

 

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虫たちに圧倒的一番人気のこちらは、見た目はややおとなしいけれど、甘い香りがしていました。

果たして虫たちを惹き付ける魅力は何なのでしょう。

 

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豪華に飾った牡丹をめぐって勢いよくブンブン羽音をたてて集まるハナムグリたち。

花と虫が求婚の儀式をおこなっているようにも見えました。

 

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参道ではキリシマツツジも鮮やかに咲き揃っています。

どっしりと構えた牡丹と違い、こちらからは軽やかで甲高いおしゃべりが聴こえてきそうです。

 

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こちらの求婚者はハナアブのようです。

 

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次は藤棚も色付いてきて順番にバトンが渡されてゆく花のリレーが続きます。

 

『グーテンベルクの銀河系』M.マクルーハン 著 森常治 訳 1986年刊 みすず書房  

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グーテンベルクの銀河系
M.マクルーハン 著 森常治 訳
1986年刊 みすず書房

 

この本を読んでいる「活字人間」である読者自身の成り立ちを
否定的に追いながら国民国家や電気通信の未来まで予言し、
読者をとても不安定でスリリングな状態にさせる内容である。
線によって導くのではなく点によって浮かび上がらせるような書き方である。
その点の一つ一つが銀河系の星々で、もしかしたら活字の一個一個なのかもしれない。
現時点で気になるのはインターネットと国民国家の関係である。
国家を超えたグローバルな個人の結びつきと
周辺で強固に固まる極端なローカリズム。
国家抜きの世界はネットの部族社会に変わっていくのだろうか・・・

 

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『職業としての学問』 マックス・ウェーバー 著 尾高邦雄 訳 1980年刊(改訳) 岩波文庫

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職業としての学問
マックス・ウェーバー 著 尾高邦雄 訳
1980年刊(改訳) 岩波文庫

 
ウェーバーが1919年にドイツの若者たちに向けて行った講演の記録。
第一次大戦の敗北で著しく疲弊し、それまでの価値観が崩壊したドイツ国民を
ヴェルサイユ条約による制裁が押し潰してしまわんとする刹那に、
スーパー頑固おやじウェーバーの講演は火を噴くような激しさであったようだ。
理を通して話しているが、気持ちは<浮足立つな!落ち着け>である。
しかし怒られようが怒鳴られようが説得を試みられようが、
戦争を止められず、敗戦で悲惨な現状をつくったのは、
そのおやじたちなのであるのだから、
残念ながらどんな熱弁も空しく響いたかもしれない。

 

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