障がいをもつ人たちによるハンドメイドのユニークな石けん。
かわいくておいしそうです。
ハンドメイドなので1日100個しか作れない希少品です。
1個1000円
製造されているリンクラインさんは障がい者雇用の特例会社です。
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隅田川に架かる清洲橋は下流の永代橋とセットで設計された昭和初期の産業遺産。
国の重要文化財にも指定されています。
優美なシルエットは現在の建築群の中にもよく溶け込んでいます。
美しいシルエットと強固な構造、そして永代橋との見事な対比。
たいへん素晴らしい橋です。
しかし惜しいことに、これだけ立派なものを作れるようになった技術の著しい発展は、その後すぐに起きた戦争をより悲惨なものにしてしまいました。
清洲橋には罪はないのですが、技術も産業も常に社会に対する大きな責任を負っているものでしょう。そして産業社会を構成するすべての人間が、同じ責任を背負っていると常に自覚していかなければならないでしょう。
その自覚を忘れないためにも、歴史とともにこれらの遺産は守られなければならないでしょう。
こちらは下流にある永代橋
そして清洲橋と永代橋の間に架かる首都高速・隅田川大橋
以前は草津駅前の飲み屋と言えば、居酒屋の「壺」、焼き鳥「大吉」、西口の「養老乃滝」など、おじさんくさい限られた場所しかありませんでしたが、近年はシャッターを降ろした商店街の店々が次々と新手の飲食店に変わって、夜が賑やかに様変わりしています。
おしゃれなお店やおしゃれなだけのお店やおしゃれでもおいしくもないお店、居酒屋、焼き鳥、立ち飲み、お好み焼き、海鮮、寿司、カラオケ、近江牛、地鶏、ちゃんこ、牡蠣食べ放題、バル、カフェ、場末のスナック、ガールズバー、ショットバー、並んでも入りたいお店や頼まれても入りたくないお店など、各種揃っています。
新しいお店の新陳代謝も多くて、夜の草津駅前は半年ごとに風景が変わっていく感じです。
10年ぶりくらいにこの場所を訪れた人は、降りる駅を間違えたかと思うでしょう。
JR草津駅は、隣の南草津駅と並んで乗車客数の多い場所です。
(JR西日本で30位以内。大阪のユニバーサルシティより多い。)
草津駅前周辺は昔から東海道と中山道の分岐点として発展した町なので、サービス業が栄えるポテンシャルはあったのでしょう。
草津市は、日本においてはすでに少数派になってしまった、人口増加の続く地域です。
特に駅周辺の人口密度は年々高くなっており、マンションも高くタワー化して、古びた木造住宅を見下ろしています。
そして現在もまた次の再開発タワーが建設中です。
数年後のこの場所では、再開発された新しい飲食店と新しい住人たちによる、まったく見知らぬ夜が繰り広げられているかもしれません。
『「近代」の意味』
桜井哲夫 著
1984年刊 NHKブックス
近代の産業化と個人の教育はセットで進展する。
産業の規格化が、個人を規格化する教育を促し、
同じ規格品である個人の平等が成立する。
人間社会が産業の機能と見なされていく時、
それまで機能していた社会の階層構造は分解されなし崩しになる。
近代において規格外の存在は不良品として排除される。
その圧力は若者を自殺へと追い込み、
社会を少子化させる。
平等の暴走はテロや革命の発端にもなる。
「俺があいつでないことが憎い」という強烈な歪みが
均質な近代社会の周辺で生まれる。
近代社会の特徴は、そのシステムが自らを加速させる構造に
なっていることではないだろうか。
宗教が規範であった社会においては、人間の感情も余剰生産物も
現世である社会の外の神の世界へ拡散して霧消したのだろうけれど
神のいない世界ではそれらのものは社会の中に止まり、
社会の動きを加速させるエネルギーとして再び使われる。
それは回生ブレーキのようなものか、
それとも高速増殖炉のようなものかはわからないが、
いずれにしても社会の構造そのものが、
その構造と同じ方向へと技術を導いていくように思われる。
『方法序説』
デカルト 著 谷川多佳子 訳
1997年刊 岩波文庫
その時代の社会的権威を全否定して神と直結するのが
「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」という傲慢である。
もし当時の社会に若者たちが強い抑圧を感じていたのなら、
その若者たちはロウソクや雨傘などのシンボルを掲げてデモ行進し、
その社会には「デカルト革命」が起きるだろう。
一部は暴徒化し、「故ニワレ在リ」と叫びながら
教会も宮廷も富裕な商人も焼き討ちし、軍隊が投入される事態になるだろう。
もしかしたら民族浄化まで至るかもしれない。
そして実際にそれが様々な形で進行してきたことの結果として、
現代の我々の社会はある。
徹底した合理的精神は徹底した神秘的精神と紙一重である。
「瀬田の森 夕涼みフェス2017」が行われたびわこ文化公園にある県立美術館の「彫刻の路」。
夕涼みフェスの帰りに見ると、少々不気味な印象。
というより、最初から不気味なものが夜に際立つという方が正確かもしれません。
「不気味」などというと彫刻家の方や美術館の方に失礼な気もしますが、現実のなだらかで平穏な時空に衝撃を与えるのが現代アートの一側面だとするなら、不気味さこそ重要な価値と言えるかもしれません。
こちらはユニークな墓石のようですが、村岡三郎さんの「Oxygen Shiga」(1993)という作品。
刻まれている言葉は「焼かれた声帯、もしくは自分の故郷が違うものに感じられる者のために」・・・やはり夜っぽい。
古代の巨石文明の祭壇のような二つの作品
上が「置・傾/トライアングル」(植松奎二 1987)
下が「夏至の日のランドマーク」(山口牧生 1986)
この美術館には、他にもシーガル「コーヒーを注ぐウェイトレス」やアバカノヴィッチ「群衆Ⅳ」などの秘蔵の作品があって、それらも夜間に美術館で特別展示してくれれば見る人の背筋が凍ること間違いなしです。
特にアバカノヴィッチの作品は深夜に一人で20分くらい向き合うことで、真価がわかるというか人生観が変わるというか、そういう作品かもしれません。
シーガルの作品も夜中にひとりでじっと見つめていると、泣きたくなってくるかもしれません。
シーガル「コーヒーを注ぐウェイトレス」
http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=8410
アバカノヴィッチ「群衆Ⅳ」
http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=10571
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