今年の流行が何色だとか
誰それのセンスがどうだとか
どこそこのブランドが何だとかかんだとか
人間世界の些細な心配事とは無縁に
動物たちの着こなし身のこなしは美しい。
それは着替えることのない生存の在り方の表現で、
肌を脱いでも同じ肌で
ただ黒くてぶら下がっているだけでも
ただ無造作に置かれているだけでも
だだ寝そべったり、寝そべったり、寝そべったりしているだけでも
こんなに小さくても
どれもがだれもが見事である。
目が大き過ぎたり
耳が大き過ぎたりするのは
悪魔のようにかわいい。
ヒョウ自身(ジャガー)によるヒョウ柄はこの上なくセクシーで
檻の中に閉じ込められていても
お仕着せではない森の王者は
裸の王様に落ちぶれることはない。
毛づくろいのやり過ぎで
人間はすっかり裸に「進化」して、
その進化の原罪を贖うために
今年の流行が何色だとか
誰それのセンスがどうだとか
どこそこのブランドが何だとかかんだとか
些細な心配事を無限に繰り返すようになった。
そして今は
どんな生物にも似ていない
こんな鉄の殻を被って生きるようになったとさ。
めでたし、めでたし。。。
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