夜景の監獄 ~中央大橋周辺~

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中央大橋4

 

永代橋の少し下流に架かるこの橋が中央大橋と呼ばれるのは、この橋が隅田川の中央にあるからでも、中央に高い塔があるからでもない。中央区を代表する橋だからだそうである。

 

中央大橋2

 

とても立派な橋であるが、なにもここまで大げさな構造にしなくてもよさそうなものであるが、ウォーターフロント開発の入口を象徴する意味もあったのだろう。

 

中央大橋3

中央大橋11 中央大橋8 中央大橋9

 

そういうセレモニー性を強調するためか、隅田川と友好河川であるセーヌ川のあるパリ市から贈られた像も飾られている。

 

佃2

中央大橋15 佃1 中央大橋13

 

そして、その御大層な橋を渡ったところにあるのが、ウォーターフロント開発の代表であるリバーシティ21だ。林立するタワーマンション、江戸湊発祥の地を示す錨のオブジェ、パリ広場、佃公園、そして人足寄場跡である。

 

佃3

 

湾岸の再開発が大きな工場の跡地で進められたというのはわかるが、ここで特徴的なのはこの場所が、工業化以前には人足寄場であったということだ。

 

佃4

 

人足寄場とは、江戸時代の刑務所である。

刑務所と言っても懲罰的な隔離施設というより、地方から流入してきた無宿人(戸籍を持たない者)たちの職業訓練施設として機能していたようだ。

そしてその制度を作ったのが、時代劇の有名なヒーローの一人である火付盗賊改方長谷川平蔵である。

 

中央大橋10

 

考えてみれば、江戸-東京に限らず、近代的な都市というのはどの場所でも常に<人足寄場>的な存在なのかもしれない。

都市が形成されていく過程には、地方からの急激な人口の流入があるからだ。というより、そうやって人々が集まった場所が整備されて都市と呼ばれる類型ができるとも考えられる。

長谷川平蔵は、そういう都市のあり方を肌で理解していたので、人足寄場を職業訓練施設に変えたのだろう。合理的で現実的な判断である。

しかし、そういう都市の性質には、人口の再生産システムは組み込まれていないので、人足寄場の延長である都市ではどこでも少子化が著しくなるのである。

 

そんなことを考えながら、ウォータフロントのタワーマンション群を眺めていたら、そこが美しい夜景の監獄のように思えてきた。

 

 


★隅田川にかかる橋シリーズ

 

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