『贈与と市場の社会学』
伊藤幹治 他 著
1996年刊 岩波書店
岩波講座「現代社会学」シリーズの1冊
編集委員は、井上俊、上野千鶴子、大澤真幸、見田宗介、吉見俊哉
著者は、伊藤幹治、山本真鳥、橋爪大三郎、竹沢尚一郎、前川啓治、
草野厚、足立眞理子、上野千鶴子、山崎カヲル
1996年頃は、まだ岩波書店も元気があって、
社会学というタイトルで全26冊という大型のシリーズを
企画して出版できていたんだなぁ。
帯には「社会学のイメージを一新する知の饗宴」
などという大仰なことも書いてある。
日本の「知」が
岩波書店という名のもつ重力に引きよせられて饗宴していた時代。
時代とともに「知」のありようは大きく変わり、
岩波書店も少し変った。
かつて「知」の流れは活字として、
大きな岩波ダムに湛えられる水だった。
今の「知」は、その大方が見えない水蒸気になってしまい、
どこにでもあってどこにもない、捉え難い電子の何ものかになった。
湛えるべき水を失った岩波ダムは、
少しだけ形を変えて、とても小さくなった。
テーマが<贈与と市場>なので、
話題の中心はモース、マリノフスキー、ポランニーということになる。
そして、<贈与な社会>が<市場な社会>に変わっていく
過程のようなものをこの本から拾い出すと…
「贈与=交換」という
儀礼的まどろっこしさに満ちた行為を中心とした社会は、
神との人と人との三角関係で、
先史時代から供犠やら破壊やら蕩尽やらで生と死の世界をまたいでいた。
そこにたった一点の神と宗教組織(教会)が現れて、
生と死を区切り、儀礼と神への贈与独占し、
その独占が土地や貨幣といったものに限定されて蓄積された。
そこに集まったものは、一旦この世と縁を切られた財となり、
それまでの贈与的な世界から解放された
財は自由になり、自在に使われるようになった。
そして革命やらなんやらで教会そのものがこの世から切り離されて、
自由自在な経済だけが、人と人だけの不安で不安定で、
寂しく冷たい関係とともに、この世界に残された。
というような図が一応描けるかな、というようなことである。