『レヴィ=ストロース』 E.リーチ 著 吉田禎吾 訳 2000年刊 ちくま学芸文庫

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リーチレヴィストロース

 

『レヴィ=ストロース』
E.リーチ 著 吉田禎吾 訳
2000年刊 ちくま学芸文庫

 

神話の「構造」がわかっても神話の面白さはわからないように
レヴィ=ストロースの「構造」だけを取り出しても
レヴィ=ストロースの魅力はわからない。
という「構造」の限界がわかる本である。
この本でリーチの分析の鋭さはすごくよくわかるのに
レヴィ=ストロースの魅力は不思議なくらい伝わってこない。

 

 

以下、本文より…

・資料が自分の理論に反するような時は、いつでもレヴィ=ストロースは、
資料を無視するか、あるいは、痛烈な非難の言葉をあびせながら
豊富な資料を駆使することにより、その反論をとるにたらぬものして
裁きの庭から追放してしまうのである。

・あらゆる文化は人間の頭脳の産物なのであるから、
表層部よりもっと奥まった深層部には、
あらゆる文化に共通な特徴がみられるはずだというのである。

・料理をすることは、自然を文化に変形する普遍的な手段なのである。
そして料理のカテゴリーは、それぞれの社会的単位に
ふさわしいシンボルとしててたえず用いられる

・レヴィ=ストロースの中心的な課題は、
このようにわれわれ自身を、動物とは違った人間として、
また神のごときものとして崇拝する傾向が、形成され、再形成され、
そこにたち戻ってくる弁証法的過程を探求すること

・いったいどこで文化は自然と分かれるのだろうか

・動物の生存とは異なる人間の生存のためには、
社会のあらゆる成員が、相互の社会的地位によって
仲間を区別することを学ばなければならない。

・象徴を作用させるためには、まず、記号と、
それが意味する物との区別できることが必要であり、
しかる後に、記号と意味される物との間に
関係があることを認めうることが必要である

・社会において、個々人は、たとえば父と子、
雇い主と雇い人のように、互いに「関係のある」社会的人間である

・言葉とパロールとの区別と、コードとメッセージとの区別は、
完全に同義ではないにしても、ほとんど同義なのである

・レヴィ=ストロースの大胆な命題は、
頭脳の代数は、クロス・ワード・パズルの言葉のように、
縦にも、横にも「読む」ことのできる少なくとも二つの
(恐らくはそれ以上の数の)次元からなる
矩形行列として表すことができるということである

・「すべての神話が言っていることの骨子は、
集合的には、どの神話にも表現されてはいない。
あらゆる神話が(集合的に)言っているのは、
歓迎されない矛盾という避けることのできない普遍的真理のことである」。
まさにこの点に結論がある。
神話の機能は、このような、普通には意識されていないパラドックスを、
あからさまではないが、公に表現することにある、
というのがレヴィ=ストロースの命題なのである

・一般化した公式によって言葉を巧みにあやつる遣り方は、
レヴィ=ストロースが仮説を構成する場合に典型的なものである。
しかしこういう方法は、われわれに真実を示すことはできないし、
ただ、すべてがありうることではなるが
何ひとつ確かなもののない世界に通ずるに過ぎないのである

・レヴィ=ストロースがいつも、完全に左右均斉の鋳型に
無理に事実をはめこんでいくという点に問題がある

・「贈物の交換」は、関係を表すための
一般的な言語符号(コード)の一つである「体系」をつくっている。
「婦人の交換」は、そういう「体系」の中の一つの体系である。

・レヴィ=ストロースは、わずかな期間にしても、
そういう「循環する婚姻」の体系を維持することは
かなりむずかしいに違いないと考える。
そして実際には婚姻の循環はたえず階層制の中に解体し、
相互に婚姻しあうリネージは異なる地位を占めるようになると主張する。
この結果生ずる婚姻体系がハイパーガミーである。
つまり上層の集団が、それより下層の者から
貢物として女を受けとるかたちになるのである。

・この究極的な研究結果は大体間違っている←「親族の基本構造」

・レヴィ=ストロースの著作において、
われわれはくりかえしこの点に帰ってくる。
問題は単に「どのようにして、(人間の一つの属性としての)文化は、
(人の一つの属性としての)自然から区別されるのか」ということだけでなく、
また「どのようにして、人類(ホモ・サピエンス)の文化は、
人間性の自然と不可分なのだろうか」ということでもある

・自分の発見が、人間の思考の無意識過程の普遍的特徴である事実に
関連しているということを、ドグマとして主張する傾向がますます強くなっている

・もし、ヴィコの『詩的宇宙誌(コスモグラフィー)』が、
「人間精神」の自然的属性であるとすれば
―レヴィ=ストロースもこう言っているように思われる―、
それは、われわれ自身の集団的無意識の隠れた構造の中の
どこかに潜んでいるはずである。
恐らく、宇宙ロケットや水素爆弾の時代にあっても、
楽園はふたたび呼び戻すことができないとはかぎらない。

 

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