『お金の流れでわかる世界の歴史』 大村大次郎 著  2015年刊 KADOKAWA

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『お金の流れでわかる世界の歴史』
大村大次郎 著
2015年刊 KADOKAWA

 
「お金/資本」の流れを中心に据えて
世界史の重要な局面を読んでいくので
一貫性があってわかりやすく、読み物として楽しい。
ここには歴史を学ぶことの面白さがあり
高校の世界史の副読本などとして是非おすすめしたい本である。

 

 

以下、本文より・・・

・古今東西、国家を維持していくためには
「徴税システムの整備」と「国民生活の安定」が、絶対条件なのである
・古代エジプトでは、土地のほとんどが国有地とされ、
国民はそれを借りて農業を営むという建前になっていた。
また、税制は細かく規定されており、
農作物、事業の売り上げ、輸出、輸入、奴隷の保有など、
様々なものに税が課せられた。
・古代エジプトの哲学者エウクレイデスが記した
「ユークリッド幾何学」は、エジプトの徴税役人たちが
行っていた土地の測量方法などを、まとめたものに過ぎないという。
・エジプトでは官僚機構が腐っていくに従い、
領民は、次々にアメン神殿に逃げ込み、
課税対象となる土地や資産を寄進した。
そうしてアメン神殿が大きな力を持つようになったのだ。
古代エジプトの末期には、 王家の課税基盤は1/2にまで減っていたという。
その分だけ、アメン神殿に吸収されたのだ。
・スペインの金銀のおかげで、 ローマは貨幣制度を整えることができた。
・この徴税請負人制度の最大の欠点は、
徴収請負人の権力が肥大化していく、ということである。
・徴税請負人たちは結託して会社組織のようなものをつくった。
これは世界最古の会社だとされている。
・紀元200年ごろには小麦1ブッシェル(約36リットル)が
200デナリウスだったのが、
紀元344年には200万デナリウスなっていた。
なんと1万倍のインフレなのである。
・放浪するということは、 各地の情報をたくさん持っているということである。
また、世界各地に同朋がいるのだから、 ネットワークをつくりやすい。
ユダヤの商法にとって、この世界的ネットワークが
欠くべからざる武器となっているのだ。
・「公定通過」を製造していたのは、
当時の戦国中国7か国の中では、秦だけなのである。
・穴に紐を通して持ち運びができるようにするための工夫である。
この形態の貨幣は、アジア圏特有のものであり、ヨーロッパや中東にはない。
・古代中国では、すでに鉄鉱石を溶かして鋳型に流し込んで
鉄製品をつくる「鋳造」が行われていた。
中国以外の古代世界では、鉄に関しては鉄鉱石を半溶状にし、
ハンマーで叩いて鉄製品をつくる「鍛造」という方法しか開発されていなかった
・ヨーロッパで鉄の鋳造ができるようになったのは、14世紀くらいのことであり、
中国は実に千数百年も進んでいた。
・北宋は、中国、日本、ベトナム、朝鮮の中央銀行だったともいえる
・北宋時代の1023年、中国は世界で初めて紙幣をつくった。
・この預かり証は鉄銭と同じ価値を持つため、
通貨の代わりとして用いられるようになったのだ。
この預かり証のことを「交子」と呼んだのである。
当時の四川地域では、印刷技術も発達していたため、
このようなことが可能だったのだ。
・それを見た北宋政府は、公的な「交子」を発行することにした。
これは「官交子」と呼ばれた。
この「官交子」こそが、世界最初の政府による紙幣の発行なのである。
・36万貫の鉄銭を基準にすることによって、
89万貫を上乗せして紙幣を発行したのである。
この上乗せ発行分、北宋政府の収入ということになる。
つまりは、「鉄銭本位制」による通貨発行をしていたということである。
・ローマ帝国は、キリスト教の教会と結びつくことで、
過酷な税の徴収を行っていた。
そのため、キリスト教徒であれば、過酷な税の徴収からは
逃れられないようなシステムになっていたのだ。
マホメットは、「イスラム教に改宗すれば人頭税を免除する」と
呼びかけた。
そのため、人頭税に苦しんでいたキリスト教徒たちは
こぞってイスラム教に改宗したのである。
・マホメット以降の指導者たちは
、 税や財政に詳しくなかったため、
税の徴収を地方の軍人や役人に下請けさせてしまった。
・モンゴル帝国は、「土地」に対する執着がほとんどなかった。
農耕をあまり行わないモンゴル民族たちは、
新しい耕作地に入植したり、新しい農地を獲得したりして
農業経営を拡大しようという発想は持たなかった。
・モンゴル帝国は、宗教面での関心が
ほとんどなかったことも幸いした。
当時のヨーロッパや中近東は、イスラム教勢力とキリスト教勢力の
宗教対立が非常に激しかった。
モンゴル帝国は、それにはまったく介入せず、
特定の宗教を弾圧するようなこともほとんどなかった。
・モンゴル帝国では、第5代皇帝フビライ・ハーンの時代に
帝国内での関税を一元化した。
・ヨーロッパとアジアの交易が盛んになるのは、
モンゴル帝国以降のことなのである。
・免許特権を持つ貴族たちは、ますます富み、農民や庶民たちは
どんどん貧しくなっていくという状況になっていった。
当時のフランスでは3%の貴族が、90%の富を独占していたともいわれる。
・ネッケルは強力な対抗措置を採る。
フランスの国家の歳入と歳出の内容を市民に公表したのである。
・ルイ16世が再びネッケルを罷免してしまうと、
パリの市民たちが激怒し、蜂起する。
・このナポレオンが強かったのには、実は経済的な理由がある
というのも、当時のフランスは他国に先駆けて徴兵制を敷いていたのだ。
「徴兵制」というのは、国家財政にとって魔法の杖ともいえるものだった。
・ナポレオンは、アムステルダムの金融家たちを 高圧的に支配しようとした。
アムステルダムの金融家の多くは、ロンドンに逃げ込んだ。
そのため世界の金融の中心はアムステルダムからロンドンに移ったのである。
・ナポレオンは、フランスが北アメリカに保有していた植民地を、
独立したばかりのアメリカ政府に、1500万ドルで売却した。
17世紀以降のヨーロッパでは、 蒸気という動力の実用化をめぐって、
科学者や発明家たちがしのぎを削っていた
・イギリスにそれが可能だったのは、資本力などにおいて、
他の国よりも進んでいたからであろう。
・資本を集める力強い資本力
・「国債制度の確立」と「イングランド銀行の設立」
・政府は8%の利率で国債を発行し、 イングランド銀行がそれを引き受ける。
イングランド銀行は通貨を発行し、 それを民間業者に貸し付けるのだ。
・簡単に言えば、植民地の中で 各民族の対立を煽り分裂させることにより、
イギリス本国への反発心を軽減し、 少人数で植民地支配を可能にしていた
←人間の心理を知り利用
・アヘン貿易では、イギリスはただやみくもに
中国人にアヘンを売りつけていたのではない。
繁華街にアヘン・サロンを開き、若い中国人女性に接客させるという、
高級バーのような趣向で、中国人にアヘンを普及させた
・アメリカの「母国」であるイギリスは、
当時、世界一ともいえる金融大国、資本大国だった。
七つの海を制し経済大国となっていたイギリスには、 あり余る資本があった。
アメリカは、その資本の投資先となることで、
発展することができたのだ。
・ロスチャイルド家に事業は、宮廷ユダヤ人の伝統を受け継いでいる。
つまり、貴金属やダイヤモンドなど王侯貴族の喜ぶ品物を扱い、
彼らと懇意になる。
そして彼らの財務を引き受けるようになり、莫大な資産を築くのだ。
・近代企業においては、資本力の規模が企業の盛衰を左右
←ロスチャイルドの衰退
・第一次大戦というのは、欧米の強国がドイツを叩こうとした戦争
・1870年に時点で、世界の工業生産のシェアは、
イギリスの32%に対してドイツ13%だった。
しかし1910年にはイギリス15%に対して ドイツは16%と逆転している。
フランスにいたっては、6%に過ぎない。
ドイツは第一次大戦前から、ヨーロッパ大陸で最大の 工業国になっていたのだ。
・19世紀末には工業生産でアメリカに抜かれ、
さらに20世紀初頭にはドイツにも抜かれていた。
・開戦当時、各国はまだ物資輸送は自動車化されていなかったが、
大戦中に急速にトラックの導入が進み、
連合国だけで25万台が投入された。
・第一次世界大戦は、世界で最初の「石油を食う戦争」だったのである。
言い方を換えれば、第一次大戦というのは、
エネルギー革命をもたらした戦争でもあったのだ。
・第一次大戦の連合国の石油もほとんどアメリカ産だった。
第一次大戦の勝敗を分けたのは、 石油だったとさえ言われているのだ。
第一次大戦前後も、世界の石油輸出の6割程度を
アメリカ一国で占めていたのだ。
・このエネルギー革命で超大国の座から 滑り落ちたのがイギリスなのである。
イギリスは世界有数の石炭産出国であり、
17世紀後半には世界の石炭産出量の 85%を占めていたこともある。
・植民地はすべて取り上げられ、人口の10%を失い、
領土の13.5%、農耕地の15%、鉄鉱石の鉱床の75%を失った。
この結果、ドイツの鉄鉱生産量は戦前の37.5%にまで落ち込んだ。
賠償金は、およそ330億ドル。
ドイツの税収の十数年分というめちゃくちゃなものだった。
・貿易黒字により、その国の金の保有量が増える
→その国の通過量が増える
→その国はインフレとなり輸出品も割高になる
→国際競争力が落ち、貿易黒字が減る
金本位制をとる国々は、この過程を経ることで、
お互いの通過を安定させてきたのである。
・アメリカは自国内でインフレが起きることを懸念し、
金が流入しているにもかかわらず、通貨量を増やさなかったのだ。
1922年8月以降、流入した金は、
連邦準備銀行の金準備に含めないようにしたのだ。
そうするとどうなるか?
アメリカには金が大量に入ってくるにもかかわらず、
国としての国際競争力は落ちない。
アメリカの貿易黒字は、ますます増え、 金がますます流入してくる。
1923年の末には、世界の金の4割を アメリカが保有していたのである。
(その後、第二次大戦終了まで、 アメリカの金保有量は増え続け、
最終的に世界の金の7割以上を保有するに至る)。
・金本位制のもとでは、金が少なくなると、
その国は通貨を減らさなくてはならない。
そのため金の減少が続くと、通貨の流通に支障をきたすようになる。
デフレ状態になり産業が沈滞してしまう。
また金が不足している国は、
他国から物を買えなくなるために、貿易も収縮する。
つまりアメリカが、「世界貿易の通過」である
金を貯め込んでしまったことが、
世界を恐慌に陥れる強い「負のエネルギー」となったのである。
・欧州新経済秩序は、アメリカにとって
この上もなく嫌なものだったのである。
世界の金の4割を持っていたアメリカは、
世界の金融が金本位だったからこそ
世界一の繁栄を謳歌できていたのである。
・20世紀初頭、世界貿易における綿製品など
繊維製品の割合は20%にも達し、 イギリスのシェアはその半分近くに及んだ。
・大阪紡績は、株式によって莫大な資金を集め、
世界でも最大級の紡績機を導入した大規模な工場を建設し、
電力を利用して24時間操業を始めた。
・第二次世界大戦というのは、日独英米のいずれの国も、
多くのものを失った戦いである。
「自由主義対全体主義の戦い」ではなく、
「帝国主義経済崩壊への戦い」だったのだ
・共産主義というのは、究極の中央集権制度である。
税や軍事だけではなく、資源や労働力さえも国が掌握し、集中的に活用する。
・ソ連は平等だったから崩壊したのではない。
むしろ、自由主義国よりも不平等だったから崩壊したのである。
・経済活動に様々な縛りがあり、自由で公正な競争ができない中で、
コネがあるもの、不正を働くものが、豊かになっていったのである。
・ブレトン・ウッズ会議では、
ドルを今後の世界経済の基軸通貨とすることが定められた。
そして、ドルは金と兌換しうる「金本位制」をとることになったのだ。
前述したように当時のアメリカは、
世界の金の7割以上を独占しており、その財力の信用を使って、
以後の国際金融が行われることになったのだ。
・ドルを世界に流通させるには、
アメリカの貿易は常に赤字になっていなければならない。
アメリカの貿易が黒字になると、ドルはアメリカに戻ってくるので、
ドルが世界に流通しなくなるからだ。
・一国の通貨が世界の基軸通貨になるということ自体が、
はじめから矛盾を抱えていた。
・リーマン・ブラザーズは、アメリカ本社の破たんを受け、
日本法人も破綻申請を行った。
負債総額3兆4000億円という、 日本で史上2番目の大型倒産だった。

 

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