今回はびわ湖からかなり離れて東京の椿山荘です。
明治の元勲山縣有朋が趣味ではじめた庭を
大正時代に財閥の藤田男爵が恭しく受け継ぎ
それが昭和に藤田興業・藤田観光に受け継がれ
平成にはそんな日本近代史には興味のないフォーシーズンホテルと
全く噛み合わないままお別れして現在に至る椿山荘。
今にして思えば
ここから見る元外資系の超高級ホテルはかなり目障りだ、
と庭のカラスが言っているような気がする。
明治から平成への時代の変遷の中のどこかで
椿山荘は何か選択を間違えたのだろうか。
多少老朽化し始めてはいるが
このホテルはホテルとして素晴らしい。
窓の外に見る庭園の景色も見事である。
でも、その見事さこそが間違いだったのかもしれない。
ホテル側から見ればこの庭は見下ろすのに適している。
でも庭の側から見ればこのホテルは見上げるのに適していない。
元帥陸軍大将の庭は上から見下されるのを望まないのである。
そもそもこの丘の上の庭が見下ろされるようなことが起きるとは、
明治の伯爵も大正の男爵も想像さえしていなかっただろう。
明治から平成の間で起きた視線の変化。
奉公人の子がそれまでの支配階級を抑えて頂点に駆け上がり、
次にもっと身分の低い商人財閥が金の力でそれを受け継ぎ、
今では金さえろくにもたない一般庶民が
近代建築のテクノロジーに底上げされて
その場所を数十メートル上から見下ろすようになった、
という時代の変遷。
視線はその時代時代に合わせて
少しずつずれていっただけなのに
100年以上経った今では
そのずれが大きな断絶になってしまった、
ということだろうか。
ホテルの窓から見る庭の反対側はビルばかりであるが、
時には屋上にメルヘンがあったりする。
そしてビルと庭がせめぎ合う東京の空の下には
突然振袖が現れたりもする。
毎時毎分毎秒、未来は少しずつ不確かで、
断絶した視線も少々混乱気味である。
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