明治36年に日本初の「洋風近代式公園」として造られた日比谷公園。
江戸城の石垣があり、鶴がいて、立派な松もあったりするので
「洋風」といってもかなりジャパニーズのテイストが濃厚です。
逆に、ヨーロッパの公園に無理矢理日本庭園を移植したようにも見えます。
ほっと一息、都会のオアシス、
とはまさにこの場所。
都市の公園には、モニュメントのようなものは不要かもしれません。
なぜなら、公園の周囲が壮大なコンクリートのモニュメントで
埋め尽くされていていて、公園はそれらのモニュメント群からの
避難場所にも思えるからです。
ところで、日比谷公園といえばかつては日比谷焼討事件など、
暴動の拠点になったやっかいな場所でもありました。
なぜ日比谷公園は暴動や社会運動の拠点となったのか?
もちろん人の集まりやすい交通の便の良い広い場所
ということもあったでしょうけれど、
この場所は霞が関の官庁街に隣接していて
かつては国会にも面していたからなのでしょう。
特に日比谷焼討事件の場合は、
日露戦争の講和条約に反対するものでしたから、
目の前に海軍省、その裏に外務省さらに向かいにロシア公使館がある
日比谷公園は、当時の人にとって反対運動の拠点として
最適の場所に見えていたのかもしれません。
都会生活の息抜きの場所は、
市民の不満をガス抜きする場所でもあり、
一歩間違えばそのガスに引火して
暴動が爆発する場所でもありました。
公園とともに始まったデモクラシーは
火気厳禁の危険物であり、
日比谷公園はそんなデモクラシーの紆余曲折が
そこにある松の木や銀杏の木の年輪となって
たくさん茂っている場所のようです。