『マネーの進化史』 ニーアル・ファーガソン 著 仙名紀 訳  2009年刊 早川書房

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マネーの進化史2

 

『マネーの進化史』
ニーアル・ファーガソン 著 仙名紀 訳
2009年刊 早川書房

 

アメリカの学者やジャーナリストの書く本はやたらと分厚い。
そして重い。
書架に占める面積もしくは体積こそが、その本の価値であると
言わんばかりである。
だから電子書籍になってくれることがとてもありがたい。
そして合理的だと思える。
この『マネーの進化史』も500ページくらいある
(それでも同じ著者の『憎悪の世紀』に比べれば半分くらいなのだが)

この本の場合、どの章もそれぞれ興味深いのだが
全体としてはやや見通しが悪い気がする。
現代の金融の混乱から遡って
マネーの<リスク>というところにフォーカスしてもらうか
逆に現代の混乱から一歩引いて歴史的視点に徹してもらうか
した方がわかりやすかったように思う。
メソポタミアのトークンとシカゴのオプションをつなぐ線が
少々伸びすぎて霞んでしまうのである。

 

マネーの進化史1

 

 

以下、本文より・・・

第1章 一攫千金の夢
・ヨーロッパでは、貴金属不足の状況を打破するために二つの方策を考えた。
一つは、労働と製品、つまり奴隷と木材を輸出することで、
バグダッドで銀を、コルドバやカイロでは金を入手する方法だ。
もう一方は、イスラム社会に戦争を挑んで貴金属を略奪するやり方だ。
・中世から近代の初期にかけて、ヨーロッパ各国は
「小銭という大問題」に頭を悩ませた。
つまり、各種の硬貨に必要な材料をそれぞれ安定的に調達できず、
少額の硬貨がとくに材料不足に陥り、
価格が下落し、品質も低下しがちだったのだ。
・ヨーロッパでは1540年代から1640年代の間に、「価格革命」が起こった。
それまで300年間にわたって上昇傾向を見せなかった食品価格が、
いちじるしく高騰した。
・16世紀からの100年間に、生活費は7倍
←イギリス、年率2%
・人類がはじめて記録を残すようになったとき、
歴史や詩、哲学を記すことではなく、商取引を目的としていた
←5000年前の古代メソポタミアの粘土製の代用貨幣(トークン)
・古代バビロニアの金貸し業は、疑いなくかなり巧みに組み立てられていた。
したがって特定の貸し手に返済するのではなく、
粘土板を持っている者に返す仕組みだった。
王宮や寺院に穀物などの物品を寄進した人たちは
粘土板の領収書が渡された。
・英語の「credit(信用)」の語源は、
ラテン語の「credo=私は信じる」に由来している。
・ハムラビ法典によると、借金は三年ごとに帳消しになった
・1179年の第三回ラテラーノ公会議では、
利子を取った金貸しは破門されることになった。
1311~12年のウィーン公会議では、
高利貸しは罪ではないと論じることさえも異端だとして禁じられた。
・ヴェネツィア市当局は1516年、
かつての鋳鉄所だった市内の一画をユダヤ人居住地に指定した。
これがゲットー・ヌオーヴォとして知られる地域だ
(ゲットーは「鋳造」、ヌオーヴォは「新しい」の意)。
・1570年から73年にわたって戦争が再燃した際には、
すべてのユダヤ人が終戦まで身柄を拘束され、財産も押収された。
・債権者は手形を振り出す。債権者はその手形をほかの支払いに充てるが、
ブローカーを通じていくらか割り引いた額で現金と交換できる。
利子を取ることは教会が禁じていたが、
このような形で利益を上げることはなんら問題がなかった。
これがメディチ家の商売にミソだった。
・メディチ家が成功した最大の理由は、
規模が大きかったというよりも、
事業内容が多岐にわたっていたところ
・アムステルダム為替銀行は、小切手や口座引き落とし、
振替などの業務を、世界ではじめて導入した。
・1657年、スウェーデンのストックホルム銀行で、その障害が打ち砕かれた。
この銀行もアムステルダム為替銀行と同じような機能を持っていたが、
そのほか融資や商業支払いの代行もおこなった。
貴金属などの保有量を超える融資をしていたという点で、
のちに部分準備銀行制度と呼ばれる方式の先駆けになった
・1694年にロンドンで創設されたイングランド銀行
←目的は政府の借金の一部を銀行で株に転換して
戦時経費をまかなう助けをすること
・1.銀行内、銀行間のキャッシュレスでの取引
2.部分準備銀行制度、3.中央銀行による紙幣発行の独占
←西洋世界に広まることでマネーが進化していった
・いまのマネーは、銀行が抱える負債(貯蓄金)だ。
「信用」は、端的に言えば銀行の資産(貸付金)になる。
・金融革命と産業革命は手を携え、
互いに強化し合っていた可能性が高い。
・アダム・スミスは、次のように記している。
「賢明な銀行は、金銀を紙に変え、空中を横切る道を敷くようなものだ」
・現在のメンフィスでは、「血抜き」に新たな意味を与えていて、
肉1ポンド切り取られるほどの苦痛はないかもしれないが、
不気味なほど似ている。←献血
・アメリカ人は破産を
「生存し、自由を満喫でき、幸福を追求する権利」とほぼ同等な、
「不可侵の権利」だと心得ている。
・民間の健康保険に加入していなくて医療費が払えない普通の市民がほとんどだ。
・先進国の銀行資産(つまり貸出)を合わせると、
それらの国ぐにのDGP合計の150%ほどにもなる。
国際決済銀行の資料によると、2006年12月時点で
世界銀行が保有する資産総額は約29兆ドルで、
出会のGDPの63%ほどになる。

第2章 人間と債権の絆
・銀行が信用貸しの制度を考案したあと、
マネーの進化史において、債権の誕生は二番目の革命的なできごとだった。
・古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、こう語っていた。
「戦争は、すべての物事の生みの親だ」
・政府が債権を発行して戦争資金を調達する方策は、 マネーの歴史に登場するほかの現象と同じく、
イタリア・ルネサンス期に発明された。
・フィレンツェの債務額は14世紀の初頭には5万フローリンだったが、
1427年には500万フローリン
・1650年ごろには、6万5000人もの投資家が誕生した。
彼らは自分たちの資本をこれら債券類に投資し、
オランダが独立を維持するための戦いを財政面で支援した。
・ロスチャイルド一族はもう少しで破産するところだった。
彼らの財宝は、ワーテルローの戦いによってではなく、
この戦いにもかかわらず築かれたと言うほうが正しい。
・マイヤー・アムシェルは、5人の息子たちに
繰り返しこう諭したものだった。
「もし人びとから愛されることができないのであれば、
怖れられる存在になれ」
はたして、債券市場の支配者として
19世紀半ばの金融界に君臨するようになってから、
ロスチャイルド一族は、愛されるより怖れられる存在になっていた。
・政府が発行する国債のシステムに絶対的な力を持たせ……
そうすることによってかつては土地を持っていた権威を、
金銭に与えることになった。
・南北戦争の間に、南部における物価上昇率は
400%に達したが、北部では60%にとどまっていた。
1865年4月に南部軍は降伏したが、
それ以前から敗北の前兆であるハイパーインフレが起き、
南部経済は崩壊になだれ込んだ。
・債券市場に逆らおうとすることが、
破滅的なインフレと屈辱的な軍事的敗退に終わる
・ドイツは、イギリス、フランス、イタリア、ロシアと異なり、
大戦中には国際市場で国債を売ることができなかった
(当初はニューヨークの市場に加盟することを拒否し、その後は締め出された)。
・インフレーションは、人間たちとかれらの貨幣の諸単位とが
互いにもっと強烈な影響を及ぼしあう、
価値喪失の魔女の饗宴とよぶことができる。
・インフレ率が低下したのは、ある意味では、
私たちが購入する衣類やコンピューターなど
さまざまな生活用品が、技術革新によって、
または低賃金のアジア地域への生産拠点の移転によって、
低価格で購入できるようになったことが原因だろう
。 ・だが何よりも重要なのは、債券に投資して
一定の利益を上げようという社会層が成長した点
・高齢化社会にあって、確定利付き証券に対するニーズと、
受け取る利息が購買力を維持できるような
低インフレへの期待は高まる一方だ。

第3章 バブルと戯れて
・共同資本による有限責任を伴う会社の出現
・「共同資本」とは、会社の資本が複数の投資家に所有されることで、
「有限責任」とは、「法人」としての独立した会社組織が、
その事業がたとえ不成功に終わっても、投資家たちが全財産を失わずに、
限定的な役割を果たすだけの責任を負うことを意味する。
・商人や職人、それに召使いたちまでが、VOCの株式を取得しようと殺到した。
←VOC=連合オランダ東インド会社
・資本金の返還を希望する株主たちは、
自分が保有する株式をほかの投資家に売却する以外、道がなくなった。
このような経緯で、ほんの数年の感覚で、株式市場がこの世に誕生した。

第4章 リスクの逆襲
・最も古い保険の形態は、おそらく埋葬組合
・本格的な保険契約が登場するのは、1350年代
・17世紀の後半になると、専門の保険市場とでも
言えるような形態のものが、ロンドンで誕生した。
・1774年になると、王立証券所内にロイズ協会が設立
・1660年ごろを皮切りにめざましい知識面における革新が続き、
理論的な根拠が構築された。
・「偶然は不規則性を引き起こすが、
これらの不規則性は時間が経過すれば、
神の意志(OriginalDesign)の結果としての規則性と
折り合わない可能性がきわめて高い」
←アブラーム・ド・モアーヴル 1733年
・現代の保険を創設したのは、商人ではなく数学者だった。
ただし、理論を実践に移すためには、
聖職者たちの助けが必要だった。
・カルヴァン派の宗教改革の影響を受けたものであるとともに、
18世紀のスコットランドにおける啓蒙活動の産物
←牧師の寡婦年金と基金の運用。スコティッシュ・ウィドウズ
・先進国におけるDGPに対する保険料の比率は着実に上昇し、
第一次世界大戦直前には約2%だったが、 今日では10%近くまで増えている。
・経済学者ケネス・アローがかなり以前に私的したとおり、
私たちの多くは、わずかな利益を得る可能性が100%あるが
(年間の保険料を払わない)、
大きな損失をこうむる可能性もある
(災害を受けても保険料はもらえない)という状況よりも、
わずかな損失をこうむる可能性は100%あるものの
(年間保険料を払う)、
大きな利益が得られるわずかな可能性もある
(災害後に保険金がもらえる) ギャンブルのほうを好むものだ。
・戦争(ウォーフェア)から福祉(ウェルフェア)へ
・「年老いたときに年金を受けられる者は、
その見込みがない者に比べれば、はるかに扱いやすい」
←ビスマルク、社会保険法の施行
・世界で最初に誕生した福祉超大国、
もとよりこの原理を最大限に推し進めて大成功した国は、
じつはイギリスではなく日本だった。
日本ほど、福祉国家と戦争国家を緊密に連携させた国はない。
・1938年末から44年末にかけて、この計画によって保障を受ける国民の数は、
わずか50万人あまりから4000万人を超えるようになり、
ほぼ100倍に膨れ上がった。
←日本、健康保険制度
・「国民皆兵」という戦時スローガンは「国民皆保険」につながった。
・戦後、日本に起きたことは、おおむね戦争福祉国家の延長線上にあった。
・年金改革の影響で貯蓄率が大幅に増大したからだ
(1989年までにはGDP比30%まで上昇し、中南米で最高になった)
←チリ

第5章 わが家ほど安全なところはない
・対照的に、証券、証券化された市場では、
(宇宙空間にいるように)
叫んだところでだれにも聞こえない。
・要するに貧困国が貧しさから脱却できないのは、
確かな財産権、つまり成功した経済の「隠れた構造」を
持たないことが原因だと言える。
・「財産法は、決して特効薬とは言えません」とデ・ソトは認める。
「しかし、これがミッシング・リンクなのです。
・・・財産法がなければ、ほかの改革を継続して成し遂げることはできませんから」
・「財産法は、民主主義につながっていくものなのです」←デ・ソト
・「なぜかといえば、市場志向型の財産制度を維持するためには、
民主主義の制度をもつことが不可欠だからだかです。
これこそ、投資家を安心させられる唯一の道なのです」←デ・ソト
・持ち家であれば、借家人よりもていねいに家の手入れをするものだ。
・財産の所有権を獲得した人は、いまだに不法居住している人より、
はるかに個人主義的で物質主義的になった←キルメス地区(アルゼンチン)

第6章 帝国からチャイメリカへ
・清朝は、歴史上で最も成功した麻薬国家とでも呼べるイギリス帝国の 底力をまざまざと見せつけられることになった。 ・太平天国の乱―キリストの弟を名乗る男(洪宗全)の指揮の下、
信用が失墜した清朝を倒そうとする農民の反乱―
による混乱が続き、2000万人から4000万人が命を落とした。
・借り手が植民地である場合、
債務契約は当然ながら独立国家との契約に比べて、
いざというときに強制執行に訴えやすい
←イギリスの植民地への投資熱
・1911年には、ニューヨークからロンドンまで
わずか30秒で電報を送ることが可能に
・将来の出来事が現在の予測に反映されているのではなく、
現在の予測が将来の出来事に影響しているのだ
←再帰性
←ロバート・スレイター『ソロス-世界経済を動かす謎の投資家』
・市場は、経済理論が仮定するような均衡点には、決して到達しない。
認知したものと現実の間には再帰的な関係があり、
そのために最初は自己強化のプロセスに始まるものの、
やがて自己破綻につながる暴投と暴落のプロセス、
要するにバブルに至る。
バブルはいずれもトレンドと誤解から成り立ち、
両者は再帰的に相互作用している。
←ジョージ・ソロス『ソロスは警告する』
ブラックとショールズはオプションの価格(C)を、
次の公式に組み立てた。
マネーの進化史式

ただしこのとき、

マネーの進化史式
・ケインズが指摘したように、危機になると
「市場は、支払い能力がついていけないほど長い間、非合理に動くこともある」
・短期的には、ここは昔ながらのおなじみの地球で、
貪欲から恐怖へと一気に転じる感情的な人間が住んでいる。

終章 マネーの系譜と退歩
・マネー―債務者と債権者の関係が結実した結果
・古代メソポタミアから現代の中国に至るまで、
人類が進歩する裏側にはマネーの進化という原動力があった
・「測定し得る不確実性あるいは私どもが
今後用いてゆくであろう“危険”なるものは、
測定し得ないものとははるかに異なる。
後者は実際には全然不確実性ではない」
←フランク・ナイト『危険・不確実性および利潤』
・「私がこの言葉を用いる場合の意味は、
ヨーロッパ戦争の見直しが不確実性であるとか、
今から20年後の利子率のことを指している。
・・・これらすべての事柄に関して、
何らかの計算可能な確立を形成するための科学的な基盤は一切存在しない。
われわれには、まったくわからないのである」
←ケインズ 不確実性
・額が同じでも、失うほうが獲得する場合の2倍半のインパクトがある

 

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