『人間の経済』 K・ポランニー 著 玉野井芳郎・栗本慎一郎・中野忠 訳 1998年刊 岩波書店

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『人間の経済』
K・ポランニー 著 玉野井芳郎・栗本慎一郎・中野忠 訳
1998年刊 岩波書店

 

自己調整によって動き続ける現代の市場経済を
いかにして再び人間社会に「埋め込む」のかという
壮大なテーマをもったポランニー経済人類学の
総まとめとなった遺稿集である。

ポランニー亡き後、市場経済のグローバルな浸食は続いており、
旧共産圏やイスラム圏、途上国に大きな貧富の断絶を作り、
先進国の中産階級を滅ぼし、
テロとポピュリズムの台頭を招いている。
大戦前のヨーロッパの亡霊が、
地球全土をまさにグローバルに覆っているような不気味さがある。
そして今は白馬の騎士のアメリカはもういない。

 

 

以下、本文より・・・

編者序文
・それゆえに彼は、
自由と正義とは市場秩序と解きがたく結びついているのだという
自由主義の功利にたいして、挑戦したのであった。

著者はしがき
・供給、需要、価格といった語は、より一般的な、
資源、必要品、等価という語に置き換えられるべきである

著者序文
・経済的な解決をはかれる者は誰でも、はかれない者にたいして、
純粋な力のゲームにおいてはつねに有利であるだろう。
・頑固な現実主義者よりも天真爛漫な予言者のほうが
より真実に近いところにいたのである。
・あらゆる市場制度において最も大規模であった国際金本位制度が
その創設後わずか半世紀で崩壊したのは、
市場の幻想が終焉する前触れであった。
・産業主義は人間と機械との不安定な妥協の産物であり、
そのなかで人間は敗退し、機械が勝手きままにふるまったのである。
・対外交易はたいてい国内交易に先行し、
交換手段としての貨幣は対外交易の領域に始まるものであった。
・あらゆる発展において、より小規模の事例が
より大規模のものに必ず先行すると仮定することは、
単なる偏見にすぎない。

第一部 社会における経済の位置

A 概念および理論

・経済―いまや正確には市場経済と表現される―のなかにおいて
支配的力となったこの制度的な付属物は、
そのうえさらに、もうひとつのよりすさまじい発展、
すなわちみずからの経済メカニズムのなかに埋め込まれた
ひとつの全社会―市場社会―をつくりだしたのである。
・交換に際しての共同(パートナーシップ)はここでも存在するが、
交換行為は接続されていない。
贈物(ギフト)と返礼の贈物(カウンターギフト)は時を異にして起こる。
それは等価性の概念すべてを禁じる方法として儀礼化されているのである。
←クラ交易
・トロブリアンド諸島では、初期国家は、
防衛や階級規制の機関というよりも再分配的な設備なのである。
・バーターする個人の意図を効果的にする市場パターンが存在しないかぎり、
任意のバーター行為はそれ自身で価格を生じさせるものではない。

B 制度

・「共同体」を理想化し、それは人間が
共同体験の繋がりによって一緒に結ばれる状態であるとした。
これにたいして「社会」は、市場の非人格性と、
市場の連繋によってのみ結ばれた各人の関係
―トーマス・カーライルが名づけた「現金結合(キャッシュ・ネクサス)」―
からけっしてまぬがれることはなかった。
・贈物が等価の形態で返されねばならないような取引群において、
マリノフスキーは驚くべき事実に出会った。
その取引群は、明らかにわれわれの観念によれば、
等価物の交換に最も近く、
事実上交易と区別できないはずのものなのである。
だが、交易とはほど遠い!
同じ対象物が当事者の間をきわめて頻繁に、
往き来して交換されるということが、
かくして取引から普通なら想像される経済的な観念を奪っている。
事実、この単純な工夫としての等価物は、
経済的合理性への一歩を意味することからほど遠く、
取引への功利主義的要素の侵入にたいする保護物となるのである。
・「我らに日々のパンを与え給え」という
主の祈りに用いられたパンの配給に関する語
←現物経済における配給に重要性。シュメール、バビロニア
・法によって正当化された利得ぬきの取引と規制された管理処分とは、
われわれがみたように、人間の経済的生活のなかで
いままでに知られない個人の自主性(フリーダム)の領域を開いたのである。

第二部 市場経済の三要素 ―交易・貨幣・市場―

・首長や王が「輸出」のための財を徴集して、
共同体のために交易を行うのであるし、
その線に沿って多くの個人が海浜で自分の相手と出会う
といったものなのである。
・自然は特徴をつくるが、市場は均質性を生む。
・各種の輸送サーヴィスさえも、
市場という錬金術が副産物として生み出した
コストという単位すなわち、
多様な財を共通にはかる物差によってはかられることになるのである。
・まったく形式主義的な視角から見れば、
貨幣は言語と書くことに驚くほど似たものである。
・財宝が突然にして、恐るべき政治的重要性を帯びたのである。
富が直接に権力に転化したのである。
・貨幣価格形成のまったく新しい局面や、組み込まれた利潤、
各種の特定目的の通過に基礎的尺度となる物を結びつける
「架空の単位」などが出てくる。
それらによって、限定された地域での不変で基礎的な単位と、
対内交易貨幣との差がなくなるのである。
こうしたことの大部分は、「交換手段としての貨幣」という
定式化のもとで、必然的に見えないままとなったのである。
・明らかに、場所としての市場のほうが、
需要・供給型の競争メカニズムより先に生まれている。
・市場とは、制度的にいえば、単に交換の状況をつくりだすものである。
・中世後期になって、やっと遠隔地間の卸売交易が、
よりいっそうの投機の道を求める資本の源泉になる。

第三部 古代ギリシアにおける交易・市場・貨幣

・古代ファラオから受け継がれた蓄蔵と再分配の方法が、
洗練された計画経済のレベルにまで高められた。
・「私は町のまんなかに、人が集まってきて互いにだまし合い、
偽誓するためのきまった場所をもっているような輩は、恐れたことがない。」
←ペルシア王キュロスからスパルタの大使へ
・ヘロドトスの文献は暗示に満ちている。
「また彼らは不法なことについて語ることも不法なのだ、と考えている。
彼らのならわしとして何より最も汚いことは嘘をつくことであり、
そのつぎは借金であるが、それにはほかにも多くの理由があろうが、
とくに負債者が何かと嘘をつかねばならないからである、といっている。」
・一方はエジプト式の大規模官僚制的な計画(プランニング)であり、
他方は古典期アテネにみられた、食糧の分配に際して
市場が重要な役割を担う小規模民主制的な計画である。
・アリストテレスのいうところでは、寡頭制とは富による富者の支配であり、
民主制とは貧者の支配である。
・紀元前6世紀の中頃までカペーロスはほぼ確実に婦人だった。
・多くのギリシア都市国家内部の派閥抗争は、
小国家間の定期的な戦争と相まって、
多数の国なき民、港の浮浪者群を生み出した。
これらの人々は、生活を交易に頼るしか方法がなかった。
・地域の交易と対外交易には異なったタイプの交易者がいた。
このふたつの形態の交易ははっきり違っていた。
地域の交易、これだけが市場交易だった。
海外交易は一部は管理交易、一部は贈与交易であって、
ときたま現れる市場的要素は相対的に重要でなかった。
・「そのときにサイコロ遊びもお手玉遊びもボール遊びも、
そのほかチェッカー以外のあらゆる種類の遊戯が考案されたという。
この最後のものの発明はリュディア人も彼ら自身のものだとは主張していない。
ともかく食物を求めなくてもよいように、
一日朝から晩まで遊戯に没頭し、その次の日には遊戯をやめて食物をとる、
というのが彼らのたてた飢饉対策だった」
・この王はすべての鋳貨を回収し、それを二倍の額に打ち直し、
集めた額と同じ総額の鋳貨を再発行し、そして半分は自分に取っておいた
←ボスポロス王レウコン

 

 

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