京都が世界一の観光都市である理由が
いわゆる「おもてなし」にあるとは思えない。
もちろん最高のおもてなしをしてくれる
料亭や旅館もあるだろうけれど
それは京都に限ったことではないし
誰もが訪れる場所でもない。
一見さんお断りの人たちが、世界中の観光客相手に
オープンマインドのおもてなしなんかするはずもない。
では、京都が世界一である理由は何なのだろう
京都は世界一になる前から、
長年ずっと日本一の観光地であり続けてきた。
千年の都として延々観光資源を積み上げている。
観光地としてこなれていて、極めて集積が高いのである。
積みあがった観光資源の中に日常があるというか、
日常がそのまま観光資源になっているというか、
そんな場所である。
京都には途切れることのない<文化のしぶとさ>がある。
例えば14世紀の前半に建てられ、嵐山復観光の目玉の
ひとつでもある天龍寺は8回も火災に見舞われている。
最終的に今の形になるのは近代明治。そして昭和である。
とてもしぶといのである。そして復元力が高い。
ただ復元するだけではなく、伝統に新しいものを加えて
<新しい伝統>にアップグレードしてしまう。
天龍寺で言えば、<最新の伝統>は「雲竜図」であろう。
これが描かれたのは20世紀末。
燃えては作り直して650年、現在も含めての<伝統>である。
京都の伝統は現在進行形で傲慢に、我が道を進み続けている。
変化の速すぎる時代において
先取された未来はすぐにありふれた現在に成り果てるが、
過去に加えられていく現在は、過去の厚みを増すものになる。
厚みを増すしぶとい傲慢さは、世界からの観光に値するのだろう。







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