本棚のお化け ~国立国会図書館~

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国会図書館は、その名の通り国会に付属する図書館であり、

国会議事堂の参議院側の隣にある。

 

 

雑誌類なども含む蔵書数は4000万を超え、

年間の運営費だけで181億円もかかる。

でも、一般の利用者数はそれほど多くはない。

利用しにくいのである。

あまりに膨大な資料があって、

探し出すのに時間がかかり過ぎるからである。

 

なので国会図書館は法定納本制度によって

とにかく本が集まり続け、ほとんどそれを整理し続けるだけの

本棚のお化けなのである。

 

 

しかし、日本で出版されたあらゆる本が集まるこの場所では、

時代やジャンルを縦横に渡る興味深い展示か行われることがある。

 

現在行われている「挿絵の世界」もたいへん見応えのあるものだった。

展示されているのは90点で、それほど広くもない会場なのに

1点1点立ち止まってじっくり見て、解説を読んで

深く頷いてしまうような企画である。

 

明治のはじめの新聞で競い合った二人の浮世絵師、落合芳幾と月岡芳年。

大正浪漫の水島爾保布や高畠華宵。

戦時中に子供向けに軍事技術を図解した小松崎茂。

そして戦後のグラフィックデザイナー達や

21世紀になっての「涼宮ハルヒ」のいとうのいぢまで。

どこかで一度は目にしたことのある挿絵の120年が

ひとつの知識としてつながる面白さがあり感動がある。

 

 

 

 

こんなことができるのなら

あと2億円くらい予算を追加して

企画に困っている日本中の美術館で

巡回展示を行えばいいのではないだろうか。。。

 

五重塔のチャンピオン ~東寺~

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法隆寺のものをはじめとして日本には数多くの有名な五重塔がある。

そのなかでチャンピオンを選ぶとしたら、やはりこの東寺の五重塔

ではないだろうか。

 

 

それはこの塔が古いからでも高いからでも美しいからでもなく、世界の観光地古都京都のシンボル、ランドマークだからである。

新幹線に乗ってこの塔が見えたら、ああ京都だ、と誰もが思う。

 

 

舞妓さんと五重塔を並べて描けば、

それは世界に通じる典型的な<KYOTO>のイメージになる。

女性・ファッションというソフト文化と

僧侶・建築のというハード文化の組合せ。

それは明と暗であり、凹と凸である。

対照的なものを並べて全体を暗示するものだ。

とても陳腐でありながら世界中でコピーされ続ける

強力なイメージである。

 

 

この京都中央郵便局のスタンプのように。。。

 

そこに描かれているのがほんとは八坂の塔と、

単なる日本髪の女性であっても、

それは東寺&舞妓と認識されるだろう。

 

 

もちろん金閣寺や清水寺のイメージも強力ではあるが

五重塔にはシルエットにしても一目でそれとわかる強さがある。

密教が得意とするシンボルの力だろうか。

 

 

そして舞妓さんの代わりに鹿を描けば

そこはたちまち<NARA>になる。

もちろん五重塔は法隆寺のものだと

勘違いされるに違いない。

 

日本で一番高い山は誰でも答えられるが、

二番目は難しい。

五重塔も二番目に高い興福寺のものは、

意外と忘れられる。

 

落日コレクション 49

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びわ湖周辺の美しい落日の風景

 

 

湖岸なぎさ公園。打出の森周辺。

建物はびわ湖ホール。

 

 

打出の森のはびわ湖を臨むカフェやレストランがあります。

 

 

お城の形の建物は、休館中の琵琶湖文化館。

博物館としての使命は終えていますが、

湖岸大津のランドマークのひとつです。

 

 

2017年10月11日 大津にて

 

国会インタビュー

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国会で障がい者施設の製品を販売されている砂長美んさんに、

インタビューをさせていただきました。

 

 

 

国会での販売の経緯など、お聞きした話をまとめ

来年度のJGCグループのカタログに掲載させていただく予定です。

 

 

砂長さんは先日本の出版もされていて、

この時は参議院議員の山本先生などにもご挨拶されていました。

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ビルの谷間の猿の王 ~日枝神社~

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高層ビルを背景に従える東京の日枝神社。

徳川の時代から江戸の産神と呼ばれた全国3800の山王信仰の出世頭です。

 

 

山王信仰は天台宗とともに広がったもので、

日枝神社も比叡山の日吉大社から川越経由で分祀されたということです。

日枝=比叡です。

そして「日吉」も昔は「ひえ」と読まれていました。

 

 

なのでここにも比叡山でおなじみのお猿さんがいて、

鳥居の形も日吉大社と同じです。

 

 

比叡山の日吉は大きな木に囲まれた森の奥にありますが、

東京ではビルの谷間に鎮座しています。

 

 

ピンクの答え ~国会議事堂~

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国会といえば、権力闘争の場であり議員同士が足を引っ張り合い、

嘘と言い訳で塗り固められているかのような報道ばかりがされる。

 

 

しかしその舞台である国会議事堂をよく見ると

そんな印象とは正反対の整然とした美しい建物である。

 

 

報道写真などでは外壁は白やグレーに見えることが多いが、

使われている石材は広島県倉橋島産の桜御影(議員石)で、

実際の壁面は意外なほどやさしいピンクである。

 

 

竣工は昭和11年。築80年を越えているが、古びた感じはしない。

補修などがしっかり行われているためであろう。

 

 

この建物の色を印刷に使う4色で分解すると

黒を除く青と赤と黄色が概ね30~40%で混じり合ったものである。

それは保守、革新、中道の3色がバランスよく混じり合って、

その上で腹黒さは排除するという意味なのかもしれない。

 

 

この立派に誇り高く保たれている建物が、

真っ赤な嘘と白々しい言い訳と泥のなすり合いによる

濁った玉虫色の妥協に染められないことを

願いたいところである。

 

 

議場も立派である。もしかしたら政治の場としては

格式が高過ぎるのだろうか?

それが時代に合わなくて、政治への関心が薄れたり、

特別視され過ぎたりしている原因のひとつなのかもしれない。

 

 

議事堂には道路をはさんで前に広い庭がある。

回遊式庭園や日本水準原点や憲政記念館がある。

訪れる人は少なくて、自動販売機のジュースがちょっと安い

穴場である。

 

 

ウルトラ保守の牙城 ~霞が関・財務省~

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野口悠紀雄が『1940年体制』の旧版の序文で

「巨大な軍艦が陸にのり上げたようにうずくまる無骨で陰気な建物」

と書いた財務省本館(旧大蔵省本庁舎)。

 

 

実用重視で不愛想な建物が多い霞が関の官庁街の中でも、

この建物の印象は特に陰気な印象である。

 

 

この建物は戦時中に建設され昭和18年に完成している。

本来なら文化財にもなりそうな古さであるが、

太平洋戦争の戦況がどんどん悪くなっていく頃の、

物資も人出も足りない中での建設なので、

それらしい装飾などは皆無である。

 

 

現在は建物の表面にタイルが貼られているが、

以前はまさに人を威圧する巨大なコンクリートの塊であったようだ。

さらに屋上は本土決戦に備えた焼夷弾除けも施されていたということだ。

 

 

ちなみに隣の文科省や向かいの法務省は文化財指定されていて

公開されている部分もある。

しかし財務省はどこからみても監獄のように閉鎖的な印象で、

堅苦しい霞が関の中心にあるウルトラ保守という感じである。

(必ずしもそれが悪いということではない。

それは日本国の鉄壁の守りを意味するからである。)

 

 

もちろん霞が関もその中心から少し離れれば開放的になってくる。

 

 

こちらは日本最初の超高層ビ霞が関ビルディング1Fの

霞ダイニング正面。

周辺がこのように再開発されると、

中心の保守性はますます際立つようになっている。

 

 

デモクラシーの年輪 ~日比谷公園~

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明治36年に日本初の「洋風近代式公園」として造られた日比谷公園。

江戸城の石垣があり、鶴がいて、立派な松もあったりするので

「洋風」といってもかなりジャパニーズのテイストが濃厚です。

 

 

逆に、ヨーロッパの公園に無理矢理日本庭園を移植したようにも見えます。

 

 

ほっと一息、都会のオアシス、

とはまさにこの場所。

 

 

都市の公園には、モニュメントのようなものは不要かもしれません。

 

 

なぜなら、公園の周囲が壮大なコンクリートのモニュメントで

埋め尽くされていていて、公園はそれらのモニュメント群からの

避難場所にも思えるからです。

 

 

ところで、日比谷公園といえばかつては日比谷焼討事件など、

暴動の拠点になったやっかいな場所でもありました。

 

 

なぜ日比谷公園は暴動や社会運動の拠点となったのか?

もちろん人の集まりやすい交通の便の良い広い場所

ということもあったでしょうけれど、

この場所は霞が関の官庁街に隣接していて

かつては国会にも面していたからなのでしょう。

 

 

特に日比谷焼討事件の場合は、

日露戦争の講和条約に反対するものでしたから、

目の前に海軍省、その裏に外務省さらに向かいにロシア公使館がある

日比谷公園は、当時の人にとって反対運動の拠点として

最適の場所に見えていたのかもしれません。

 

 

都会生活の息抜きの場所は、

市民の不満をガス抜きする場所でもあり、

一歩間違えばそのガスに引火して

暴動が爆発する場所でもありました。

公園とともに始まったデモクラシーは

火気厳禁の危険物であり、

日比谷公園はそんなデモクラシーの紆余曲折が

そこにある松の木や銀杏の木の年輪となって

たくさん茂っている場所のようです。