小さな釣り人のいる夕景。
びわ湖ではファミリーで釣りを楽しむ人たちも多い。
2017年8月27日 大津にて
インバウンドでも大人気の築地場外市場。
築地市場周辺にある400店もの飲食や鮮魚店などの集積です。
様々なお店が軒を連ねていて、活気があり見ていて飽きない場所です。
案内所や休憩所なども設置されていて振興には力が入っています。
戦争で焼けなかったこともあって、
古くからの建物も比較的多く残っていることも魅力です。
しかし、その魅力は著しく零細で非効率で老朽化していることと
裏腹でもあります。
先日は、その老朽化が原因で火災が発生し7棟が全焼しました。
見方によってはスラムっぽくも見え、
築地市場本体の移転後には
本当にスラム化に向かってしまうかもしれないこの場所。
抜本的で総合的な対策が必要なことは
火を見るより明らかでしょう。
場外の場外から遠く離れて見ていると、
1.築地市場の豊洲への移転、
2.空いた築地市場跡地に築地場外市場をまるごと移転、
3.空いた築地場外市場をまとめて再開発。
と、連続ところてん式にするっとやって
まるっと収まらないものかと思えます。
永代橋、清洲橋とならび国の重要文化財に指定されている
隅田川の勝鬨橋。
「帝都東京の門」と言われた永代橋。
「震災復興事業の華」と言われた清洲橋。
勝鬨橋は「東洋一の可動橋」と呼ばれました。
昭和初期、まだ国内の水運が重視されていた時代に
大型の船舶を通すためにこの橋は跳開橋として作られました。
全長246mのうち中央の44mが
片側1000トンの重りによって開く仕掛けになっていますが、
水運の利用が減って1970年を最後に開かれることはなくなりました。
琵琶湖疏水のインクラインとイメージが重なります。
橋の中央部には隙間があって、そこからは隅田川が覗けます。
そして中央付近はかなり揺れるので、
そこに立ち止まっているとかなりこわいです。
当時の先端技術を駆使し、
日本の技術力の高さを世界に示すものになる予定でした。
しかし、この橋をメインゲートにする予定だった万国博覧会は
戦争のために開催が中止になってしまいました。
橋を開閉させるための運転室は、
冷戦時代の国境線にあった監視塔のようにも見えます。
そしてこうすると東京都庁のようでもあります。
永代橋や清洲橋からはスカイツリーが見えますが
勝鬨橋からは東京タワーが見えます。
隅田川にかかる橋シリーズ
月島で夕食にしようと考え、数十件のもんじゃ店がひしめく、
ひとりで月島もんじゃストリートを訪れました。
すると驚くことに3軒も連続で<おひとり様お断り>されました。
「ここの店、もう終わりました」ピシャ。
・・・まだ看板の灯りついてるし、
ラストオーダーの時間でもないのに。。
だいたいその日本語はちょっと変だ!
別の店では責任者らしき人が「ひとり客なんかいれるんじゃねぇ」と
怒鳴っている声が聞こえてきました。
月島もんじゃはいつの間にか庶民の食べ物から、
おひとり様には手の届かない
高級ブランドに変わってしまったということでしょうか?
確かに訪れたお店は<月島ブランド>を誇らしげに掲げていました。
そして4軒目のお店で、ようやく快く受け入れてもらえました。
あわれなおひとり様マイノリティの気持ちを
わかっていただけたのかもしれません。
もんじゃは横柄な日本人じゃなくてもちゃんと焼けます。
最期に残った香ばしいおこげは、
ベビースターラーメンに似た
ちゃんと庶民の味がしました。
聖徳太子によって、渡来人のために建てられたという伝承のある
湖東三山のひとつ百済寺。
「クダラ」ではなく「ヒャクサイ」と読むのがここのこだわりです。
「百済」はもともと「伯済」と書き、
「ハクサイ」と呼ばれていたからだそうです。
戦国時代の終盤にルイス・フロイスが
1000坊が立ち並ぶ<地上の天国>と記したこの場所は、
近江焦土作戦とも思える信長の連続焼き討ちの中で
一旦消失してしまいます。
この素晴らしい庭園も、残されたかつての庭園に
百済寺山内から集められた石を組み合わせて作り直されたものです。
450年前の<天国の記憶を集めた庭>と言えるかもしれません。
西に開けるこの眺望には太郎坊や比叡山が含まれ、
そのはるか先はかつての百済国に向かっているとのことです。
仁王門と本堂に向かう参道。
かつて両脇に多くの僧房が並んでいたという
この石段の表情は絶品。
仁王門の大わらじには満願成就の願いを込めた1円玉が
たくさん差し込まれています。
なぜ5円や100円や10円ではなく「1円」なのかは不明ですが、
金額が大きいと満願成就する前に盗まれてしまう恐れがあるからかもしれません。
今は狭い場所で深い静寂に包まれている感じの本堂ですが、
焼き討ち前はこの奥の10倍の広さの場所に
4倍の面積のものが建てられていたそうです。
横には五重塔まであったということです。
地上天国1000坊の頂点は、それに見合う立派なものだったようです。
宇多源氏にはじまり、現在まで千年以上続く
佐々木一族の長い長い歴史の始まりの場所が沙沙貴神社です。
現在、佐々木さんというお名前の方は全国で60万人以上、
そこから分かれた苗字は220以上に増殖して、
壮大な系図になっているということです。
もちろん佐々木家の著名な御先祖様たちの偉大な歴史と、
現代のたくさんの佐々木さんたちや
そこから分かれた六角さん黒田さん高島さん大原さんなどなどの
ありふれた無数の日常生活に
どんなつながりがあるのかは
系図があまりに長くあまりに複雑すぎてよくわかりません。
そして化石とDNAでたどる数百万年に比べれば、
一千年はほんの短い期間に過ぎません。
それでも、佐々木導誉や観音寺城、三井財閥、
東日本地域の佐々木姓の広がりなどを考えると、
佐々木の名前は交通や商業、広域のネットワークとの
深い関連を予想させます。
交通の要衝をおさえ、多くの領地を持ち、全国に散らばった人々。
それは「近江商人」と呼ばれる人たちが現れる前史であり、
その背景にあったものかもしれません。
先日行われたエンディング産業展の様子です。
かなり盛況で、受付は100mを超える長い行列ができていました。
こちらは光岡自動車の霊柩車。
超ロングなリムジンはリンカーンベースの輸入車です。
全長7.2m!内装も豪華で、価格は1500万円くらいします。
こちらは国産車ベースで出岡自動車で作り込まれたもの。
細工がこまかいです。
価格は450万円~900万円というところ。
細かいといえば寺院などの彫刻も素晴らしい手仕事でした。
天女と鶴に同じパーツがあるのがおもしろいところです。
比較的派手な演出が多く、見ていておもしろくはあるのですが、
読経するペッパーや孤独死現場のミニュチア、VR葬儀など
話題性はあってもそれ以上の意味のないものも見られました。
停電したら「パッと点灯」
バッテリー内臓。工事いらずでそのまま交換。
通常時には普通の蛍光灯。
停電時には非常灯になる直管型LEDライトです。
高性能の感知機能を搭載、停電になると瞬時に内蔵の充電池に切り替わり
約3時間の連続点灯が可能です。
長寿命4万時間。高照度2千ルーメン。
LEDなので電気代は一般蛍光灯の最大60%節約。
災害時など
はずして使えば移動式の大型照明器具にも。
(ライトの周りは破損しにくいポリカーボネット素材で覆われているため
安心してご使用いただけます。)
緊急避難時の誘導や懐中電灯、
救援ヘリコプターへの着陸誘導やSOS発信にもお使いいただけます。。