『「近代」の意味』 桜井哲夫 著 1984年刊 NHKブックス

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『「近代」の意味』
桜井哲夫 著
1984年刊 NHKブックス

 

近代の産業化と個人の教育はセットで進展する。
産業の規格化が、個人を規格化する教育を促し、
同じ規格品である個人の平等が成立する。
人間社会が産業の機能と見なされていく時、
それまで機能していた社会の階層構造は分解されなし崩しになる。

近代において規格外の存在は不良品として排除される。
その圧力は若者を自殺へと追い込み、
社会を少子化させる。

平等の暴走はテロや革命の発端にもなる。
「俺があいつでないことが憎い」という強烈な歪みが
均質な近代社会の周辺で生まれる。

近代社会の特徴は、そのシステムが自らを加速させる構造に
なっていることではないだろうか。
宗教が規範であった社会においては、人間の感情も余剰生産物も
現世である社会の外の神の世界へ拡散して霧消したのだろうけれど
神のいない世界ではそれらのものは社会の中に止まり、
社会の動きを加速させるエネルギーとして再び使われる。
それは回生ブレーキのようなものか、
それとも高速増殖炉のようなものかはわからないが、
いずれにしても社会の構造そのものが、
その構造と同じ方向へと技術を導いていくように思われる。

 

 

以下、本文より・・・

・売り手と買い手のゲームの場を崩壊させたのが、デパートの出現
・常に資本も人も商品も流動すること、
ここにデパートというものの本質が存在するのである
・ダンディズムが外見的なものへ単純化されてしまうこと、
それがダンディズムの「民主化」ということなのだ。
「あなたでもダンディになれます」ということこそ、
19世紀の生んだイデオロギーであったのである
・彼らは盲目長浜市まま、全宇宙のなかで
ほしいと思うもののただひとつのことだけなのだ。
「みんなと同じでありたい!」
・「平等の世紀に人々を支配する政治的な法=掟がどんなものであれ、
そこでは世論への信仰が、多数派をその予言者とする
一種の宗教となるだろうと予測することができよう」
←トクヴィル
・「…あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。
すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。
流通は、大きな社会的な坩堝となり、
いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。
…貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、
貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである」
←マルクス『資本論』
・フランスで群集心理学が成立したのは、
パリ・コミューンという社会現象と
ナンシーやサルペトリエールの催眠術学派との
連動の結果だと考えられるだろう
・「社会状態は、催眠状態と同様に、一つの夢のかたち、
すなわち一つの命令の夢、一つの行動の夢にすぎない。
暗示された考えだけしか持たず、それを自然に信じこむこと、
このことは催眠状態にある人に特有の幻想なのであり、
そしてそれはまさに同じく社会的な人間にとっても特有の幻想なのである」
タルド『模倣の法則』
・1901年に成立した「結社法」、
さらには1905年の「教会と国家の分離法」は、
教会側の市民社会への屈服を象徴したといえ、
「非宗教化」現象は、一層拍車をかけられ、
逆に「学校」こそは「教会」に代わる
「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)として
強力に機能することとなったのである。
・立身出世の制度化ともいうべき学校制度の出現は、
当然のことながら、勉学の手段化を促進する
・1890年3月12日、パリで12歳の少年が首つり自殺をしている
←都会的な現象としての青少年の自殺。いじめ。
・欲望が刺激されている点では階級の上も下も同じことであり、
とどまるところを知らない。
かくして「規範なき状態(アノミー)」は、自殺の主要な源泉となる。
・「立身出世主義(アリヴィスム)」を出生率の減少の大きな要因
←ポール・ルロワ=ボーリュー『人口減少の問題』1913年
・フランスにおいて1880年代に実現した「無償・義務・非宗教」の公教育制度は、
子どもたちがすべて教育を受ける平等の権利があることをうたっていたのだが、
そこででてきた難問こそ、知恵遅れ、「精神遅滞児童」の問題であった。
学校に適応できない子どもたちが、
「情緒不安定児童」、「知恵遅れ児童」、「精神薄弱児童」と名づけられ、
その処遇が問題化したのは、19世紀末からであった
・学校という空間は、まさに余計なもの、
秩序をみだすものを排除する規範の支配する空間なのであり、
かつまた、数量的差異化によって秩序づけが実施される空間でもある。
そして、このような差異化イデオロギーは、
いうまでもなく、社会的階層化の原理を強固に支えるものなのである。
・「自然の本能に戻り、ブルジョワ革命の頭でっかち(メタフィジック)の
弁護士どもがこねあげた肺病やみの人権宣言なんぞより、
すっと高貴で、神聖なものだと何千回でも怠ける権利を宣言しなければならぬ。
そして1日3時間しか働かぬように拘束し、
一日の残りと夜は、ぶらぶら遊び、たらふく飲み食いせねばならぬ」
←ポール・ラファルグ
・ストライキ不参加者やストライキ破りへの暴力の方が、
工場主や工場に対する暴力行為よりはるかに多く、普通のことだった。
・彼の労務管理思想の核心は
「労働者を集団から切り離してひとりにすること、
労働者を相互にではなくあらゆる抽象的な目標に向かって競争させること」である
→テーラーの科学的管理法の原理↓
・社会的なチームプレーともいうべき戦争という局面でこそ、
彼の理念は脚光をあびることとなったのである。
・専門家たちは、いわば
「学校文化(スクール・カルチャー)」によって支配されていた。
そして多くの技術エリートたちは、基本的には、
テーラー型の現場主義を離脱しつつ、「効率の帝国」をめざしはじめていた
・うつろなこころのなか、「経験」の喪失のなかで、
やり直しはじめた「文化」の特質を、
ヴァルター・ベンヤミンは、「恣意的・構成的なもの」、
つまり無機的なものへの傾斜としてとらえている
・1.言葉の意味の拡散・希薄化と形式化(スローガン化)
2.ラジオ、映画、写真という複製(コピー)を可能にした媒体による人の感受性の麻痺化
3.速度の急激化による精神・心情の退廃、といった産業化のはての実情を批判する。
←亀井勝一郎
・急速な学校制度の定着は、日本の社会がヨーロッパ社会とはちがって、
敵対する教会勢力をもたなかったということによるとみていい。
・「日本の教育は、凡人製造をもって目的としている」
←石川啄木 1907年
・1902年『成功』という立身出世をテーマにした雑誌が村上濁浪によって創刊
・「成功は其人を利し、又国家を利す」(『成功百話』序文)という
体制批判をあらかじめ封じこめた
「プロテストなきプロテスタンティズム」こそ「金次郎主義」なのであった。
←見田宗介「日本人の立身出世」
・自分を痛めつけ、傷つけることによって相手(この場合はこども)に
罪悪感をひき起こし、相手の気持ちを自在にあやつるという母親の
「モラル・マゾヒズム」の存在
←我妻洋・原ひろ子 ふぉるく叢書『しつけ』1974
・「逆流は大正中期に始まった。
この逆流は右翼的ラディカリズムの形態をとってあらわれたけれども、
その実体は端的にいって<共同性への飢渇>と定義することができる。
この共同性への飢えは直接わが国の共同体民の
伝統的心性から発したものというより、
市民社会的現実の進展のただなかに、
共同体から駆り立てられ漂流する個の、
特殊に昂進した要求とみるほうが正確である。
………この飢渇は天皇制共同体神話とのあいだに、おそるべき共鳴をひき起した」
←渡辺京二『日本コミューン主義の系譜』
・「俺があいつでないことが憎い」という平等(均質化)への欲求に発する
近代市民社会特有の「ルサンティマン(恨み)」(マックス・シェーラー)が、
次第に天皇制神話と奇妙な融合をうみだしてゆく
←橋川文三『昭和維新試論』
・明治期には、日本でも労働移動はきわめて激しいものであり、
移動の多いほど有能であるとみなされ、
ヨーロッパとほぼ同じような同職意識が形成されていた。
・子飼いの労働者創出の試みがようやく成功するのは、第一次大戦後
←合理化と新しい生産技術の導入→計画的な新卒一括採用
・江戸時代のような「家」はもはや存在しない。
すでに1920年(大正9年)に一世帯平均人員は4.89人、核家族率は54%であった
・労働と家族というもはや物質的に結合されていない二つの要素を、
象徴的に結合しようとするものが、いわゆる西欧のパターナリズムであり、
このパターナリズムは、社会統合の危機の際に出現してくるものである。

 

 

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