『啓蒙都市ウィーン』 山之内克子 著 2003年刊 山川出版社

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『啓蒙都市ウィーン』
山之内克子 著
2003年刊 山川出版社

 

ウィーンは中世と近世・近代への変化が 際立ってダイナミックに起こされた場所であったようだ。
カトリック権力の防壁としてウルトラ保守な宗教都市となり、
戦争に敗れて啓蒙・解放のハイパーリベラルな都市に作り変えられた。
それもマリア・テレジアとヨーゼフ二世という二人の専制君主によって。
そして生まれたのが贅沢と享楽と傲慢の市民階級である。
市民階級の誕生とは、無数のクレイジーで小さな王様たちが
都市に放たれる波のことだったのかもしれない。

 

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『啓蒙の世紀と文明観』弓削尚子 著 2004年刊 山川出版社

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啓蒙の世紀と文明観
弓削尚子 著
2004年刊 山川出版社

「新大陸」の発見により、人間は神の知識を超えた。
用済みになった神は世界の片隅に追いやられ、人類は勝手に大いに繁栄した。
人類は新たに得た知識で夢中になって人類自身を分類し、分析し、
バラバラに分解した。
そしてさらに新しい知識を得て、
人類自身を完全に消滅させることを思いついた。
それが20世紀のことである。
世界のはるか片隅に追いやられた神は、
人類の成功を大いに祝福し、そして密かに呪い続けている。

 

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『定本 想像の共同体』 B.アンダーソン 著 白石隆・白石さや 訳 2007年刊 書籍工房早山 

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定本 想像の共同体
B.アンダーソン 著 白石隆・白石さや 訳
2007年刊 書籍工房早山

ナショナリズム研究に関する基本であり、極めて強力な書物である。
様々な切り取り方ができる厚みをもった研究であるが、
最も基本になるのは言語と帰属意識に関する部分であろう。
不安定で変化の著しい俗語が、書き言葉として固定され、
それが印刷物として流布することで人々の間に「国民」という意識が
抜き差しならないものとして浮かび上がる。
そこでは個人のアイデンティティと国民としてのアイデンティティは、
コインの表裏のように一体である。
「母の膝の上で出会い墓場にて別れるまで、
その言語を通して過去が蘇り同胞愛が想像され
そして未来が夢見られる」のであり、
そこに祀られた国家という観念のために
「途方もない数の人々がみずからの命を投げ出」してきたのである。

 

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『民族とナショナリズム』 アーネスト・ゲルナー 著 加藤節 監訳 2000年刊 岩波書店 

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民族とナショナリズム
アーネスト・ゲルナー 著 加藤節 監訳
2000年刊 岩波書店

 

ナショナリズムに関する極めて強力な分析であり、重要な古典である。
シンプルでしっかりした装丁もこの名著に相応しい。

 

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近代以降の合理的な産業を基盤とする社会を支えるのは、
身分に縛られず変化する産業に柔軟に対応できる流動的な無数の個人である。
地域からも一族からも宗教からも引き離されたバラバラの個人を、
<国家>の下に一元的にまとめるのがナショナリズムである。
ナショナリズムは拠り所を失った個人にとっての
故郷であり家族であり魂である。
だからナショナリズムは何ものにも代え難く人々の心を揺さぶり熱狂させる。
そしてその基礎は国語を中心とした教育によって作られる。
日本の場合には、それに加えて、
<天皇を始祖とする民族としての日本人>という観念や、
それを具体化した国家神道という装置が人々に強く作用した。
ナショナリズムは民族の皮を被った産業主義であると言えるのかもしれない。

 

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『「近代」の意味』 桜井哲夫 著 1984年刊 NHKブックス

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『「近代」の意味』
桜井哲夫 著
1984年刊 NHKブックス

 

近代の産業化と個人の教育はセットで進展する。
産業の規格化が、個人を規格化する教育を促し、
同じ規格品である個人の平等が成立する。
人間社会が産業の機能と見なされていく時、
それまで機能していた社会の階層構造は分解されなし崩しになる。

近代において規格外の存在は不良品として排除される。
その圧力は若者を自殺へと追い込み、
社会を少子化させる。

平等の暴走はテロや革命の発端にもなる。
「俺があいつでないことが憎い」という強烈な歪みが
均質な近代社会の周辺で生まれる。

近代社会の特徴は、そのシステムが自らを加速させる構造に
なっていることではないだろうか。
宗教が規範であった社会においては、人間の感情も余剰生産物も
現世である社会の外の神の世界へ拡散して霧消したのだろうけれど
神のいない世界ではそれらのものは社会の中に止まり、
社会の動きを加速させるエネルギーとして再び使われる。
それは回生ブレーキのようなものか、
それとも高速増殖炉のようなものかはわからないが、
いずれにしても社会の構造そのものが、
その構造と同じ方向へと技術を導いていくように思われる。

 

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『方法序説』 デカルト 著 谷川多佳子 訳 1997年刊 岩波文庫

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方法序説
デカルト 著 谷川多佳子 訳
1997年刊 岩波文庫

 

その時代の社会的権威を全否定して神と直結するのが
「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」という傲慢である。
もし当時の社会に若者たちが強い抑圧を感じていたのなら、
その若者たちはロウソクや雨傘などのシンボルを掲げてデモ行進し、
その社会には「デカルト革命」が起きるだろう。
一部は暴徒化し、「故ニワレ在リ」と叫びながら
教会も宮廷も富裕な商人も焼き討ちし、軍隊が投入される事態になるだろう。
もしかしたら民族浄化まで至るかもしれない。
そして実際にそれが様々な形で進行してきたことの結果として、
現代の我々の社会はある。
徹底した合理的精神は徹底した神秘的精神と紙一重である。

 

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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 米原万理 著 2012年刊 KADOKAWA/角川学芸出版

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嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万理 著
2012年刊 KADOKAWA/角川学芸出版

 

1960年の在プラハ・ソビエト学校は、
誠実で素直でユーモアと活力と希望に満ちた真っ赤な楽園であった。
しかし少女たちがその楽園から出ていく頃になると、
真っ赤な世界には鋭い亀裂が走り、楽園は萎んでいく。
そして楽園の外で時代と並走する少女たちは、
だれもが予想もしていなかった未来へとたどり着く。
この本にあるほど劇的ではないにしろ、
誰にとっても大人になるとは、そのような変化である。
いつも時代は変わり、いつも人は成熟し、いつも人は老いて死ぬ。
だからこの本は多くの共感を得て、感動的である。

 

 

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『ナショナリズムの歴史と現在』 EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳 2001年刊 大月書店 

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『ナショナリズムの歴史と現在』
EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳
2001年刊 大月書店

 

19世紀の初めには王の霊的な権威が地に落ちて
その世紀の終わりには
「善良なる神が、もう一度私たちに平和をお与えくださりますれば」が、
「社会主義者たちが平和の実現をめざしているそうだ」に変わった。
世紀が変わると、神様のいないネイション―ステイトは
産業と戦争のための巨大な機械になっていた。
世界中の人々を100年間熱狂させ続けたナショナリズムは
文化の問題を装いながら
<その核心において>は
<権力や地位や政策やイデオロギー>の問題であった。
現在はその本質がどんどん露になって、
ナショナリズムは
虐殺による権力奪取を正当化するための口実でしかなくなった。

 

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『ナショナリズム入門』植村和秀 著 2014年刊 講談社現代新書

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『ナショナリズム入門』
植村和秀 著
2014年刊 講談社現代新書

 

ナショナリズムの用語、概念の解説から
日本をはじめとする世界の地域ごとのネイションの作られ方の違い、
その歴史、問題点、現状を追って
最期にネイションと政治の関係を考えるという
とても真っ当な入門書。
国家と国民と民族が一致するのが
当たり前のことだと理解する日本の特殊性と
それが一致しないことで起きている膨大で甚大な悲劇。
それを知らないと、知ろうとしないと
<日本は平和でよかったね。世界は日本を見習えばいい>
というような全く的外れなことを語りかねない。
いや、日本人の過半数は多分それに近いイメージを抱いているだろう。
日本人の民族、宗教、平和に対する感度は低い。
そしてただ平和を享受しているだけでは、平和を愛せるようにはならない。

 

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『ナショナリズムは悪なのか』萱野稔人 著 2013年刊 NHK出版新書

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『ナショナリズムは悪なのか』
萱野稔人 著
2013年刊 NHK出版新書

 

国家とナショナリズムと近代に関するわかりやすい議論である。
ウェーバー、ゲルナー、アンダーソンから
ドゥルーズ=ガタリ、フーコーへと順を追って進められていく。
現実に即した世界の読み方である。 基本的にはいい内容だと思う。
だからこそ、あまり日本の人文思想界を批判する必要はないと思う。
批判に傾くと論旨が定まりにくくなる。
批判を入れるにしても議論の端々で軽く触れるくらいで十分だろう。
読者は批判を読みたいわけではないだろう。時間の無駄である。
それから引用が長くなり過ぎて、議論の方向が不安定になるような気もする。
編集に問題があるのかもしれない。

 

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