永代橋、清洲橋とならび国の重要文化財に指定されている
隅田川の勝鬨橋。
「帝都東京の門」と言われた永代橋。
「震災復興事業の華」と言われた清洲橋。
勝鬨橋は「東洋一の可動橋」と呼ばれました。
昭和初期、まだ国内の水運が重視されていた時代に
大型の船舶を通すためにこの橋は跳開橋として作られました。
全長246mのうち中央の44mが
片側1000トンの重りによって開く仕掛けになっていますが、
水運の利用が減って1970年を最後に開かれることはなくなりました。
琵琶湖疏水のインクラインとイメージが重なります。
橋の中央部には隙間があって、そこからは隅田川が覗けます。
そして中央付近はかなり揺れるので、
そこに立ち止まっているとかなりこわいです。
当時の先端技術を駆使し、
日本の技術力の高さを世界に示すものになる予定でした。
しかし、この橋をメインゲートにする予定だった万国博覧会は
戦争のために開催が中止になってしまいました。
橋を開閉させるための運転室は、
冷戦時代の国境線にあった監視塔のようにも見えます。
そしてこうすると東京都庁のようでもあります。
永代橋や清洲橋からはスカイツリーが見えますが
勝鬨橋からは東京タワーが見えます。
隅田川にかかる橋シリーズ
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