卒業記念品としてご注文いただいたモバイルバッテリーです。
外側は木製で、名入れはレーザーです。
USBのコードが付属しています。
大正時代の貴重な人口統計から、当時の社会状況を考える本である。
大正は、明治と昭和というふたつの長く激動した元号に挟まれた、
あまり目立たない時代である。
しかし文明開花の日本が真に都市化と近代化に
塗り替えられたのがこの短い時代のことである。
そして大正元年は1912年、既に20世紀に入っていた。
この時期、日本は農業を基盤とした社会から
工業を基盤とした社会に転換している。
全国に鉄道網が完備され都市の人口は急激に増えた。
人々は新聞や雑誌を読み都市の一個人となる。
夜が明るくなり伝統的な家族像がかすれてゆく。
国家が都市の個人と核家族を中心に
再編されてゆく時代である。
もちろんそれがすべてになったわけではないが
その基盤は出来上がっていた。
今考えるとこの時から昭和の総動員戦争への歯車が
逆戻りできない形で確実に回されていったように思える。
旧中山道沿い草津にある伊砂々神社の初詣。
本殿は室町時代に建てられたもので
間口1尺の小ぢんまりしたものですが
国の重要文化財に指定されています。
小さな集落の小さな聖域として永く祀られ
浄められてきた場所という感じです。
人が集まってずっと暮らすところには、
こういう浄めの隙間が必要なのかもしれません。
日常生活で巻き起こる人々の間のあれやこれやを
<ノーサイド>にして洗い流す場所。
だから常に清く保たれなければならない場所。
日本中の集落でずっと続けられてきた
数々の神事の深層には人々の対立や争いを
清算する役目もあったのかもしれません。
特に同じ集落の中での
富の偏在や格差に関する対立感情は
嫉妬を生み、すぐに怨念に転じてしまうような
危険なものですから
神聖な「払い」によって
祓ってしまわなければならなかった。
浄めの場所や機会を持たない人々の集団は、
争いの果てに四分五裂して消えてしまい、
浄化の装置を持った人たちだけが残った。
そしてそれが今は「宗教」と呼ばれるもののひとつに
数えられるようになっているのかもしれません。