ある富豪の生涯 ~大阪市中央公会堂~

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大阪市中央公会堂26

 

明治の終わり頃、国のあらゆる機能が帝都東京に中央集権していき、大阪の誇った「天下の台所」機能も相対的に影が薄くなってきていました。

 

大阪市中央公会堂18

 

その大阪の町おこしに、現在の貨幣価値で数十億円をポンと寄付したビッグなお金持ちがいました。

 

大阪市中央公会堂19

 

「北浜の風雲児」と言われた株式の仲買人岩本栄之助という人です。暴落時に徹底的に株を買い進めるという相場師らしい大胆な人でした。

 

大阪市中央公会堂24

 

大阪市公会堂(中之島公会堂)は、その寄付で建てられました。

 

大阪市中央公会堂13

 

設計は岡田信一郎と辰野金吾という、近代日本の建築を代表するこれもビッグなお二人。

 

大阪市中央公会堂17

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隅々までしっかりと施された意匠の数々が素晴らしい建物です。

貨幣価値としては数十億円かもしれませんが、その何倍もの情熱が注ぎ込まれたもののように思います。

(この規模のホールを建てると、今なら100億円くらいはかかるようです)

 

大阪市中央公会堂2

 

ところが残念なことに、この建物の完成を見ることなく富豪の岩本さんは亡くなってしまいます。

相場で失敗しての自殺でした。

第一次世界大戦を契機として起きた大正のバブル。その上昇相場に果敢に売り向かっての徹底的な敗北でした。青天井で燃え上がる相場に身ぐるみはがされて、身も心も焼き尽くされたという感じでしょう。

この時期に起きていた変化は、日本の産業構造まで変えてしまうような劇的で長期にわたるものでした。ヨーロッパの小競り合いに始まり、誰もが「クリスマスまでには」終わると楽観していた戦争は、ヨーロッパ全土からその植民地にまで広がる世界大戦になり、4年間も続きました。戦争によって世界の構図は変わり、日本も大きく変わったのでした。いくらお金持ちでも、とても一人の相場師が戦える相手ではなかったのです。

相場の世界をたくましく生きた富豪は、時代の節目の巨大な断絶の間に真っ逆さまに落ちてしまいましたが、彼の寄付したものはその時代を代表する名建築として残り、中之島一丁目一番地で、今も活躍中です。

 

大阪市中央公会堂27

 

 

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