『贈答の日本文化』 伊藤幹治 著 2011年刊 筑摩書房

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贈答の日本文化5

 

『贈答の日本文化』
伊藤幹治 著
2011年刊 筑摩書房

 

国立民族学博物館名誉教授である伊藤先生は1930年生れ
この本が出版された時点で81歳!ということだけでも尊敬に値します。
しかし、逆に言うとこの分野には次世代の研究者が
あまりいないということなのかもしれませんが…

内容としては、贈答行為の文化的原理と
日本におけるその特徴及び現状といったところ。
1995年に出版された『贈与交換の人類学』が基本になっているようである。

 

 

1.贈答の原理

・贈答は単なるモノのやりとりではなく、特定の機会おこなわれる儀礼的行為
・贈与交換では当事者相互の好意と信頼が不可欠の条件だが、
商品交換では、こうした当事者相互の好意と信頼はかならずしも十分条件ではない
・贈りもののやりとりには、贈られる側のお返しの義務のほかに、
贈る側のお返しの期待が込められている

2.互酬性について

・互酬性は交換の同義語とみなされることがあるが、
互酬性と交換は同じ概念ではない。
互酬性は交換の背後にひそみ、交換のあり方を総体として規定する概念だからである。
・純粋で単純な交換にはなしえないような共同体意識や
より複雑な個人関係を形成する機能が互恵性にある。
・つぎつぎに起こるちょっとした社会的結びつきが、
交互に繰り返され一連の往復的な動作によってすっかり樹立されると、
それによって人は提供することにおいて権利を獲得し、
受けることにおいて義務を負う。
そして、つねにその両面でこれまでに与えられた以上のものを提供し、
あるいは受けとられた以上のものを受ける。
・自己と他者のあいだに形成される相互関係としての互酬性は、
人間社会に普遍的にみられる概念で、規範性と統合性をそなえている。

・互酬性は『交換の全種類を含む交換形態の連続体である』(サーリンズ)
・互酬性は人間関係のあるべきまたは望ましい基本原理、
あるいはすべての人間関係に認められる普遍的原則(ファン・バール)
・互酬性は『自己と他者の対立を統合させうる最も直接的な形式』
(レヴィ・ストロース「親族の基本構造」)
・交換は互酬性によって規定される相互作用の結果である。
互酬性はすべての交換形態の基礎になっていて、
その逆ではない(F・バルト「社会組織のモデル」)

3.日本の贈答の特徴

・日本の贈答には「均衡原理」が通底している。
それはポトラッチなどに見られる「競争原理」とは違うものだが、
日本でも高度経済成長期には贈答の壮大な浪費が見られた。
・その「均衡原理」は、日本においては恩や義理の感覚と結びついていており、
贈答が単なる好意ではなく「義務」の側面も強い。
・日本では贈りものを受け取ったしるしとして、その場で簡単なものを返礼する。
「オウツリ」「オタメ」「カヤシ」と呼ばれるものである。
それは贈りものをもらったら手ぶらで帰してはならない、
という交換規則による「象徴的返礼」である。
・この均衡原理の現代的な現れが、
バレンタインデーに対するホワイトデーの創出である。

これはグローバル化とローカル化が相互に影響しあって生まれた
グローカリズムを表徴している
・日本では、恩と義理の観念は特定の人びとに対する個別的な社会規範が強いので、
不特定多数の人びとへの公的贈与(寄付)は根づきにくいが、
香典の公的機関への寄付に見られるように、
一部では「私的交換」(贈答)から「公的贈与」(寄付)への転換も起きている。

他に日本的な特徴として
・日本社会では「世話になった人」あるいは「世話をかけた人」に
贈りものをすることが実に多い
・彼岸のボタ餅に代表されるような食物を贈りあう習慣が根強い。

これは贈答が、神への供物を参加者が分けあって食べる「共食モデル」
(和歌森太郎)の名残であると考えられる。

・モースは、宴を交換財のひとつとみなした

4.その他

・結婚で結ばれた婿方と嫁方の親族間の交換は永久に均衡しない。
女性を家畜などと交換することで正確な均衡が欠如する。
そして「負い目」によるつながりができる、
・供犠は贈りもの与えることであって、モノの交換というよりも
互酬性の表現としての贈与のひとつの象徴
(『E・リーチ文化とコミュニケーション』1976年 )

・ヨーロッパでは中世以降、神と人の直接互酬性が教会を媒介とした
間接互酬性に転換した(阿部謹也)

 

 

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