『贈与交換の人類学』伊藤幹治 著 1995年刊 筑摩書房

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贈与交換の人類学3

 


『贈与交換の人類学』

伊藤幹治 著
1995年刊 筑摩書房

 

1984年の『日本人の贈答』(国立民族学博物館の特別研究)での成果を発展させた研究書である。
レヴィ=ストロースなどの人類学や柳田民俗学から
ヴァレンタイン・デーまでを一貫して考察した労作である
文献目録も詳細に整えられている

 

 

第1部 贈与交換理論の検討

第1章 贈与と返済の民族誌
・贈与のついての欧米の人びとの感覚には、
ユダヤ=キリスト教の宗教的義務が感じられる
・喜捨の観念には、「神は知りたまい、神は返したもう」という
宗教的思想が底流している(Firth 1975)

第2章 贈与交換の位相
・贈与交換の場合、当事者が求めているのは、
交換過程で創出される双方の人格的関係であって、
やりとりされる財それ自体ではない(Gregory 1982)

・直接交換と間接交換は、レヴィ=ストロースが設定した限定交換と
一般交換という二分法モデルを展開した類型。
・水平交換と垂直交換 ・交換はメッセージ(ベイリー)

第3章 民族誌にみられる贈与交換の世界
・器に入った食品をもらったら、その器に別のものを入れて返す習慣は世界各地にある

・エスキモーの交換は不均衡がパターン化されている
・パプア・ニューギニアのモカ(moka)、テ(te)はポトラッチの一種
・人の誕生や結婚、死という社会的な出来事のたびおこなわれる
贈りもののやりとりは、一般に不均衡(Firth 1939)

・交換関係を維持するために、不均衡を意図的に創出
・交換当事者間でやりとりされる財の評価としての価値は、
贈与交換論のなかで、互酬性と並んで基本概念のひとつ
・贈与交換の世界では、経済交換とちがい象徴的価値を含む
・贈与交換には、交換当事者が、一方では相互に均衡をはかりながら、
他方では相互に不均衡を意図的に創出する

第2部 日本社会の贈与交換とその文化的背景

第1章 贈与と返礼の世界
・贈与と返礼の儀礼的交換(ceremonial exchange)
・香典は、以前、結納などとおなじように、
食物を中心としたものが用いられていたが、
そのなかでも米は香典として重用されていた
・香典帳とか不祝儀帳とよばれる記録は、
香典とその返礼をそれぞれ別のカテゴリーの、
つまり長期間にわたる交換を前提とした
贈与と返済のために生み出されたメモランダム

・贈与がものから貨幣に変わって以来、対象的で均衡のとれた等価交換が定着している

・神を祀り、神に供したものを人にも提供した
→「トビの餅、トビの米」(柳田國男 1937)
・「共食論」を発展させた和歌森太郎

・交換当事者間の関係が持続されるかぎり、日本の社会では、
つねに共時的交換と通時的交換が連続的に反復される
・(日本ではポリネシアやメラネシアと違い)
交換当事者の不均衡をできるだけ調整し、
その極小化をはかる同調原理が相対的に発達している
・義理を義務とは類を異にした一連の義務と規定すると同時に、
義理を返済という反作用を中核にした概念ととらえた(ベネディクト)
・義理のふたつの意味
1.負債または負債の返済とする(「義理を返す」「義理がある」「義理にゆく」…)
2.道徳的責務(「義理堅い」「義理を欠かさない」…)
・近代化の過程に対応して、贈りもののやりとりに世俗化や個人化、
手段主義という傾向がみられる(1966.67 ベフ)

・冠婚葬祭の簡素化運動
1950年代 新生活運動協会(政府主導) (全国の62.2%の自治体が取り組み)
1870年代 風俗改良運動
1901年 風俗改良会(発起人は板垣と西郷)…虚飾無用の物品贈答を廃止す可し

・仕掛けられた交換は、ヴァレンタイン・デーとホワイト・デーという、
形式的に贈与と返礼の日が設定されている点で、
日常生活のなかのもののやりとりとは異なっている

第2章 仕掛けられた交換の文化的背景
・日本の民俗社会に表徴されるハレとケの世界は、
時間的にも空間的にも柔軟性に富んでいて、
固定化されず、しかも、それぞれが相互補完関係にある→相互転換性の原理

・ハレとケの世界は、極端にいえば、農繁期と農閑期を問わず、
人びとの自由な選択によって、相対的に自由に創造される。

そして、それぞれの世界は季節の別にかかわりなく、
「なめらかに交替するという柔軟な構造をそなえている」

・デュルケムの聖俗二元論では聖と俗は絶対的に対立する
そして聖の両義性として淨と不浄、吉と不吉(凶)という異なった神秘的な力が混在
→聖であるとともに汚れたもの
・日本の民俗社会では、季節の分節構造を反映して、祭りが行われる聖なる時間が細分化され、
聖なる時間と俗なる時間の交替が、一年のうちに頻繁に繰り返される

・デュルケムが聖と俗を一般化した背景にはユダヤ的(エヴァンズ=プリチャード)

・柳田は一貫して、ハレを記述概念として用い、
衣服や食物の生活をとおしてハレの問題を取りあげながら、
祭りと並んで葬式もハレの日とみなした(柳田 1963)
・和歌森は、ハレの日を神祭りや年中行事、出産や成人、
結婚などの祝儀の機会に限定し、
葬式などをハレの機会から排除した(和歌森 1972)

・波平恵美子の「ハレ・ケ・ケガレ」
1.ハレ…日常性から切り離された神ごとにかかわる観念や行動様式で、
特殊で異常なもの、清浄なもの、善、幸、神聖という属性をそなえている
2.ケ…日常の事柄についての観念や行動様式で、
日常的なもの、正常・常態なもの、中立でハレでもケでもないもの(?)、
俗という属性をもつ
3.ケガレ…ハレと似て特殊で異常なもの、
広義の神聖という属性をもっているが、
他方では、ハレとちがって不浄・穢れたもの、
邪悪、罪、死、病気、怪我、災難などの不幸・不運という
属性をそなえている(波平 1974)

・ヒンドゥ社会では聖と非聖、淨と不浄が、
かならずしも絶対的な対立概念ではなく、
おなじものがコンテキストのちがいによって、
淨になったり不浄になったりするとして、
それぞれ相対的なカテゴリーとみなしている(ダグラス 1972)

・ケガレ=ケ枯れ(桜井徳太郎 1982)
ケは本来稲を成長させたり、実らせたりする根源的な霊力
←語源なし ケが枯れた状態を回復する機会がハレ
ケ→ケガレ→ハレの循環 ・聖と俗が超越性の原理にもとづく
ユダヤ=キリスト教の伝統を母体としているのに対して、
ハレとケは、民間の小さな神がみをめぐる
アニミズム的汎神論の宗教伝統に根をおろしている
・超日常性とは、普段の生活が営まれる日常的世界の有限性を越えた世界、
これに対して反日常的世界は、
日常的世界の秩序を否定し、
あるいは、日常世界の規範と対立する世界のことである

・超日常:反日常 は以下のような概念に対応する
祭り:祭礼(柳田 1962)
神事:祭事(桜井 1987)
祭り:祝祭(柳川 1978)
祭り:カーニバル(山口 1981)
祭儀:祝祭(薗田 1975)
・日本の祝祭には世俗的秩序をひっくり返すような
反日常的な象徴的行為があまりみられない

・山や川やかまどなどに神がやどる気持ちが、よくわかる人
日本人の75%(1984  NHK)
・日本の社会にみられるアニミズム的汎神論は、
こうした小さな神がみの共存・共生のシステム(梅棹 1991)
・現生利益は本来、仏教の用語で、法を聞くことによって直接、
この身に得られる利益のことといわれている(藤井 1972)
あの世で受けるのが後生利益
・「苦しいときの神だのみ」をする人が62%(統計数理研究所国民性調査1970)
・病気平癒が、近世以降、現世利益のなかで中枢
・治療祈願は全体の61.3%(江戸神仏願掛重宝記)
・宗教への入信動機も圧倒的に病気平癒
・アニミズム的汎神論の世界は、
このように人びとの現実的な要請にもとづいて神がみを生成し、
また、神がみと人びととの直接接触的な関係を不可分の条件としているが、
双方の関係は、つねにご利益の効果を期待する人びとの
実利主義によって変化を強いられる。
ご利益を満たしてくれない神がみは衰退するが、
その逆に、ご利益をもたらす神がみは繁栄する
・日本人の感覚のなかに、「あの世」と「この世」を画然と区別しない、
この二つの世界についての連続観が認められる
・近年、非日常世界の分権化とおい現象が起こり、非日常的世界のなかに、
超日常的世界や反日常的世界と並んで、
脱日常的世界という第3のカテゴリーが創出されている
・汎神論的世界観が、世俗的価値を正当化する実利主義や
経験的世界を重視する現世肯定の思想
・この世界をつらぬく「この世」中心志向に根ざした現実主義をかいまみることができる

第3部 贈与交換の比較文化論的考察

第1章 贈与交換における均衡観念
・贈りものにはすべて返礼によって感謝の念を示さなければならない、
という規範 (熊本県 器に入れられたトマトやナスに野菜などを入れて返す)

第2章 贈与経済論再考
・経済交換→売る、買う、支払う、の非人格的行為
贈与交換→好意や信頼に根ざした、与える、受ける、返す、の人格行為にもとづく相互行為
・互酬性の原理や規範に根ざした贈与交換は、
市場経済(商品経済)システムのなかにすっかり埋め込まれている
←市場で売買されるものを贈りものに変換する行為
・貨幣を贈りものにすることは、かならずしも「特殊日本的」習慣ではない。
カナダのウィニペグ市(特に60年代以降)などの例

第4部 交換論からみた宗教的世界

第1章 贈与交換論からみた神と人の関係
・供犠は俗なる世界の穢れや罪を祓う脱聖化と聖なる世界から
神の祝福や恩寵を受け入れる聖化という二つの過程(モース)
・破壊とは、死者の霊魂や神に物や財産の所有権を譲渡すること(モース)
・供犠という象徴的行為は、ものの交換というよりは、
むしろ、互酬的関係を表現した贈与のひとつの象徴(リーチ 1981)
・贈りものは生命もしくは生命のかわりとなるなにかでなければならない
・供犠の根底にあるのが、人間の生命との引き換えに
獣の生命を差し出すという身代わりの観念
・神と人の関係が、11,12世紀以降、
供物を媒介にした直接的互酬性から彼岸における救いを媒介とした
間接的互酬性に転換した←ヨーロッパ
・在俗信徒が僧侶に施しをするのは、彼らが功徳を積むためであるが、
僧侶は、それに対して在俗信徒に説教する。
そこに交換が成立することになるが、
それぞれの贈与は一方的なもので、非互換的である
・神と人の関係が供物を媒介とした直接的互酬性によって規定され、
その互酬性も、人びとが生活を営む「この世」で完結されることが期待される
・この国の汎神論的世界のなかで、社会生活の変化にともなって、
神がみが再生産されたり、あるいは、消え去ったりしているのは、
こうした神がみと人びとの関係のメカニズムによる(神がみとの間の互酬性)
・互酬性と交換はおなじ概念ではない。
・贈与交換論の文脈では、一般に交換が自己と他者の
与える、受ける、返すという行為にかかわる概念であるのに対して、
互酬性は、こうした行為を体系的に規定する自己と他者の観念にかかわる概念である

第2章 交換論からみた当屋制
・レヴィ=ストロースの「限定交換」と「一般交換」
女性を集団間でやりとりする交換の類型 限定交換:AとBの間でxとyを交換する
一般交換:A,B,C…の間でx、y、z…が順番に交換されて周期が完結すること
・限定交換:相互の行動における高度な責務の存在。
二者間の平等性の維持。情緒重視
・一般交換:間接的で非相互的。情緒への依存が低い(エケ 1980)
・鎖状の一般交換(chain generalized exchange)と網状の一般交換(net generalized exchange)→個人対全体の交換(エケ 1980)

 

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