結婚式の披露宴では最初に挨拶するのは「一番偉い人」と決まっています。
偉い人の堅苦しい話からスタートして同僚や友人の砕けた話となり、
最後は両親の涙で終わります。
偉い人の話の手前には神様の前での誓いの儀式があります。
結婚式には、神様から家族へ、フォーマルからインフォーマルへ、
公的から私的へ、上流から下流へという一貫した流れがあります。
一番上流にある「健やかなる時も病める時も…」という誓約の言葉は、
いつも変わりません。
形式的で退屈なものですが、この変わらなさこそが「神聖さ」の証です。
神様は不変だからありがたいのです。
それと同じように人間界の披露宴で最初に話をする偉い人の言葉も、
形式的で退屈な、できれば古臭く古臭いまま変わらない
故事成語などを交えた形式的で退屈なものでなければなりません。
そうでなければ、イベント的にも後に控える友人たちの
砕けた話との対比が目立たなくなります。
前半はできるだけ堅苦しく、後半はできるだけ盛り上げて、
というのが結婚式の「お約束」です。
そして最後に最もインフォーマルな存在である「家族」と、
その最もインフォーマルな感情の表出である男(父親)の
「涙」で締めくくられることになります。
一番下流にあるその「涙」には、結婚までの時の流れの中で
堆積してきた生活の諸々と、
今執り行われた儀式の一切を浄化するカタルシスの意味があります。
そのカタルシスあるいはクライシスを超えて
新しい家族が誕生することになります。
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