かつて日本では、親族に名付けてもらった赤ちゃんの名前を書いた
命名書を神棚などに貼るというならわしが広くありました。
神様への出生届のようなものです。
現在でも出産は一大事ですが、昔の出産は生と死の境界をまたぐ
大きな試練でした。
それは生命の根源に近づく極めて非日常の行為でしたから、
大きな穢れであると認識されました。
だから出産には隔離が必要でした。
妊婦は使う火を分け、出産のための小屋(産屋)にこもりました。
その場所は注連縄の結界で厳密に区切られました。
世界は人の数だけ、時間はいのちの数だけあるものです
あたらしいいのちが誕生すると、世界にはあたらしい時間が加えられます。
先のいのちに、あたらしいいのちが重なって
また次が重なって重なって重なって…
賄賂など広義の贈与を別として、
お祝いなどの贈り物に現金を使うという風習は、
日本とアジアの一部だけに見られるかなり特殊なものです。
その特殊な風習がいったいどのようにして始まったのかということに
定説はありませんが、中世には貨幣が贈与物として使われていたとされます。
贈り物として作られたお金として有名なものに、
豊臣秀吉の天正大判があります。
秀吉はそれを輝く米俵として大名たちに下賜しました。
秀吉はこの世界最大の金貨をたった1日で4700枚、
銀も21000枚配ったと言われます。
「金配り」と呼ばれる大判の大盤振る舞いです。
日本の中世は、その後半では貨幣経済が
かなり発展していたらしいのですが、
幕府の権威が低下してくると貨幣の正当性が保証されなくなり
一時貨幣の使用が停止してしまう事態が起きます。
お金に信用がなくなるとお金をどれだけ積み上げても
物が買えなくなります。