『日本のポスター 明治・大正・昭和』三好一著 2003年 紫紅社

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主に明治期から戦前・戦中にかけての日本のポスターを集め、

製品分野別に編集したものである。

 

近代以前にも日本には画像を使った掲示物は存在した。

「絵びら」と呼ばれるものである。

明治に入りそれが次第に洋風の「ポスター」に代わり、

印刷技術は木版から石版そして金属版になっていく。

技術の進展は印刷物の大量生産と呼応するものだった。

 

そしてそれは都市の市民生活の劇的な変化とも

歩調を合わせる。

 

化粧品、医薬品、酒類、衣料品、菓子といった

近代生活の変化と豊かさや憧れが

そこには表現されている。

表現手法は玉石混交といった感じである。

 

それが洗練度を増し、

よりモダンなアールデコや未来派のような

直線的で色数の少ないものに変化していく頃には、

ポスターにも次第に戦時色が現れてくる。

多品種の豊かなバラエティが

統一的な超大量生産へと歩みを進める。

 

それを眺めていると近代化の進展は

戦争の必然を孕んでいたのではないかと

思えてくる。

 

 

『大正デモグラフィ』速水融・小嶋美代子著 2004年 文春新書

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大正時代の貴重な人口統計から、当時の社会状況を考える本である。

 

大正は、明治と昭和というふたつの長く激動した元号に挟まれた、

あまり目立たない時代である。

しかし文明開花の日本が真に都市化と近代化に

塗り替えられたのがこの短い時代のことである。

そして大正元年は1912年、既に20世紀に入っていた。

 

この時期、日本は農業を基盤とした社会から

工業を基盤とした社会に転換している。

全国に鉄道網が完備され都市の人口は急激に増えた。

人々は新聞や雑誌を読み都市の一個人となる。

夜が明るくなり伝統的な家族像がかすれてゆく。

 

国家が都市の個人と核家族を中心に

再編されてゆく時代である。

もちろんそれがすべてになったわけではないが

その基盤は出来上がっていた。

 

今考えるとこの時から昭和の総動員戦争への歯車が

逆戻りできない形で確実に回されていったように思える。

 

 

『紀元2600年 消費と観光のナショナリズム』 ケネス・ルオフ 著 木村剛久 訳 2010年刊 朝日新聞出版

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紀元2600年 消費と観光のナショナリズム
ケネス・ルオフ 著 木村剛久 訳
2010年刊 朝日新聞出版

 

15年に及び整えられていった総力戦体制は、
意外にも経済を活性化させていった。
紀元2600年(1940年)は、いよいよアメリカとの闘いが
迫って来ていたにもかかわらず
神武天皇を祀る奈良に3800万人もの人が訪れ
東京の百貨店の愛国催事は1日40万人という多くの人で溢れていた。
雑誌は神国日本を称える懸賞募集で盛り上がり、
誰もがラジオに耳を傾け、レコードは2100万枚も売れていた。

消費を一方向に傾けるファシズムは
極めて確実に儲かるバブリーな商売でもあった。
軍隊が国民に戦争をさせたのではない。
国民が戦争で盛り上がっていったのである。

当初は絶対勝てるはずがないと正しく認識されていた戦争が、
いつの間にか<だから負けるはずはない>にひっくり返っている。
戦場に行かなかった市民もまた戦犯だった。
近代の戦争は政治家や軍人が勝手に起こせるものではない。
近代メディアと近代兵器の凄まじい発達に
愛国の熱狂が混じり合って戦争に点火したのである。
そしてその状況の根本は今も変わってはいない。

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『1940年体制(増補版)―さらば戦時経済』 野口悠紀雄 著 2010年刊 東洋経済新報社

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1940年体制(増補版)―さらば戦時経済
野口悠紀雄 著
2010年刊 東洋経済新報社

 

軍と政治家と官僚が三つ巴で争い、そこに財界や右翼も加わって
てんやわんやになりながら、それでも戦争には負けるわけにはいかないので
そのために総力戦体制が組み立てられていく戦時期。

それぞれの勢力の思惑はとんでもなくバラバラで
裏切り、暗殺、テロ、謀議を繰り返しているのに
それでも産業技術は生産効率という指標一つに集約されて飛躍する。
生産が効率的な軍需品に特化されると、
日用品も食料品も娯楽もなくなって、
消費市場のない生産だけの世界が現れる。

みんな等しく貧しくなり、

日本はひとつの究極の軍需工場になった。


お金が無くて貧しかったのではない。
ご婦人もお子様も総出で働かなければならないくらい人手不足で
忙しかったのであるが、
所得は貯蓄に回され、それが再び軍需工場にだけ投資され続けて、
買うものがなかったのである。
敗戦後には軍は解体、政治家は追放、財閥も押さえつけられて、
官僚と総力戦体制は生残り日本の社会に深く根を張った。
作るものは変わったがシステムは究極の軍需工場のままであった。
それは国民皆保険や年功序列や銀行貯金や下請けといった
おなじみの制度とともに整然と行進し
等しく貧しかった人々は平等な中産階級になった。

と、そこまでなら苦難を乗り越えたハッピーエンドだが、
物語は幸せな高度成長期を過ぎ、バブル期も停滞期も過ぎて、
平等に高齢化して、人口減少の格差社会に突入している。
1940年と比べると人口ピラミッドもひっくり返っていて、
1940年体制はあまりに遠い昔話なのだが、
次に名付けられるほどの未来の体制には
まだ至ってない。
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『帝国主義と世界の一体化』 木谷勤 著 1997年刊 山川出版社

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『帝国主義と世界の一体化』
木谷勤 著
1997年刊 山川出版社

 

日本が鎖国から海外膨張へと
180度の方向転換をすることになる背景にあった「帝国主義」。
世界の半分が列強の植民地になっていたこの時代に
日本は何が何でもキャッチアップしなければならなかった。
この時代のグローバルな展開から見れば、
260年も日本を統治していた徳川幕府でさえ
地方の島の遅れた支配者に過ぎなかった。
歴史の流れを知っている現代から見れば
維新日本はその始まりから
世界全面戦争を戦うことを運命づけられていたかのように見える。

「帝国主義」の推進力は資本の論理と産業化であり、
それは植民地がなくなった現在も世界を動かし続けている。
ということは100年前の戦争の時代、
主役は帝国主義の国家であるように思えたが、
本当の主役は資本と産業で、
「国家」というのもそれらがつけた
仮面の一つに過ぎなかったということなのだろうか。

今は国家に代わってグローバル企業が舞台の主役である。
今奪い合っているのは限りある世界の土地ではなく、
人々が永遠に続ける<消費>である

 

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『帝国の昭和 日本の歴史23』 有馬学 著 2002年刊 講談社

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帝国の昭和 日本の歴史23
有馬学 著
2002年刊 講談社

 

技術革新、量産技術、大衆化、身分階層の崩壊、都市化、個人、
徴兵制度、マス・メディア、モダン、民意、国民感情、
食糧生産性向上、植民地、農産物価格下落、人口増加、
国家総動員、総力戦、新興勢力、革新官僚、戦争

といった大きなキーワードを組み合わせ並べ替えて考えてみる。

日本の場合、黒船などの外圧があり、それに対抗するために
身分の垣根を壊す官僚制度が作られた。
そこから近代技術の大量導入が起き、生産力と人口が増えた。
その人口と生産力は兵力の増強のために使われた。

満州に進出した時点でそれまでの拡大路線は行き詰まったが、
国内ではさらに近代発展路線は進んだ。
巨大で効率的な近代産業を従えた巨大で効率的な都市に、
農村社会からも身分制度からも切り離された個人が集積し、
それを量産化したモダンメディアが先導することになる。

そこに現れる国民感情は右に左に膨張し、
暴動・弾圧・テロ・クーデターが起き、
まとまりきれないまま最終的に大政翼賛方向に流れた。
これが日本におけるナショナリズムである。
そして抑えられない奔流の個別勝手な解釈と行動が
より先鋭な奔流へと精製、精錬、結晶化し、砕けた。

 

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『戦後と高度成長の終焉 日本の歴史24』 河野康子 著 2002年刊 講談社

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『戦後と高度成長の終焉 日本の歴史24』
河野康子 著 2002年刊 講談社

戦後から55年体制終焉に至るまでの現代政治史である。
この時代は歴史と呼ぶには近過ぎるようでもあり、
遠い過去の事のようにも思える。
ここに登場する政治家はほとんどが既に引退されているか
もうこの世にいらっしゃらない方ばかりである。
その点において過去である。
しかし、それにもかかわらず
最初の公約から40年近くが経って、
その間に与野党が連立したり逆転したり
何度も何度も何度も内閣が変わっても
消費税は依然として鬼門のままである。
そして財政再建は今に至っても
まだ延々先送りされ続けている。

この停滞はあまりに長く理屈に合わないものである
高度成長終焉後の日本の政治は、
もしかしたら何かとても大きなものを
見落とし続けているのだろうか。

日本の古式に則って、この呪いを断ち切るために
消費税を祀る神社を建てるべきかもしれない。
政治家が増税に触れると疫病に罹って再起不能になってしまう。
ならば神様の御神託だと言うしかないだろう。
大蔵省というかつての神様に代る神様を勧請するのである。

 

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『テラスで読む 日本経済の原型』原田泰 著 1993年刊 日本経済新聞社

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テラスで読む 日本経済の原型
原田泰 著
1993年刊 日本経済新聞社

 

isu<テラスで読む>という軽めのタイトルのわりに内容は堅いです。
リビングで読むよりもさらに堅くて、
レント・シーキングなどという経済用語が出て来た時点で
書斎に片足を突っ込まないと読めなくなります。

後に文庫化された時には『世相でたどる日本経済』という
タイトルに変更されていますが、内容からはさらに遠ざかっています。
映画の話なども出てはきますが、それはおまけ程度です。
中心となる内容は、戦前と戦後経済の断絶、
そして戦中期と戦後経済の連続性の批判的な分析で、
1990年代に多く発表されていた議論に連なるものです。
戦中期と戦後経済の連続性という見方は
おそらくバブル崩壊の原因を探る中で浮き上がって来た論点でしょう。
バブル崩壊を全体主義による経済敗戦とする見方で、
そこから経済をもっと自由化すべきだということになり、
後の金融ビッグバンの動きに合流していきます。

著者は日銀の審議委員にも就任されたエコノミストで、
ヒトラーの財政政策を正当化するコメントを述べたとして
最近見事にhonoo<炎上>honooされた方です
<ヒトラーが行った正しい経済政策>と言わずに
<ヒトラーに利用され効果を発揮した経済政策>と
ちょっと遠回しにすれば
非難を免れたかもしれません。

 

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『昭和史講義』 筒井清忠 編 2015年刊 筑摩書房

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『昭和史講義』
筒井清忠 編
2015年刊 筑摩書房

 

昭和の歴史に関する認識をブラッシュアップし
バージョンアップさせてくれる本である。
日本は一方的に戦争へと突き進んでいったわけではなく、
戦争に反対する力が強かったがゆえにその反動も強く、
その反動の根拠が社会格差やマスメディアにあった。
貧しさから命をかける軍人になった者たちが
軍縮が決まった途端に平和の敵として後ろ指を指され
10万人近くが一斉にクビになるという理不尽。
そして暗殺やテロが起き、
何か起きるたびに、あるいは何も起きなくても
マスメディアは右に左に煽情する。
政治は足の引っ張り合い以外に目標を持たず、
何も決められないまま 突如「日本」とは言えない日本の果てで戦闘が始まり、
いつのまにか戦時バブルの熱狂にすべてが巻き込まれていく。
そして無為無策の政治を置き去りにして
優秀な官僚たちによる統制経済だけが着実に進んでいった。
その頃の経済の中心にいた人物の一人が
安倍首相の祖父・岸信介であった。
現在首相が繰り出す様々なスローガンは
戦時経済体制を作った祖父ゆずりのものかもしれない。
そして意外なのは当初の大政翼賛体制を
経済界だけでなく、右翼や軍部までもが強く批判したことである。
何が右で何が左かわからない、まさに右往左往の時代であった。

 

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『現代日本経済システムの源流』岡崎哲二・奥野正寛 編 1993年刊 日本経済新聞社

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現代日本経済システムの源流
岡崎哲二・奥野正寛 編
1993年刊 日本経済新聞社

 

日本的とされる戦後の経済体制の特徴が、
近代にどのように構築されてきたかを
企業システムや税制、農協などを取り上げ
比較制度分析の視点で分析したものである。
突き詰めて言えば日本の戦後経済体制を規定していたものは、
戦時に進められた徹底した経済統制の仕組みであったということだ。
それは戦後の復興からバブル崩壊まで続いた強固な仕組みであった。
バブルが崩壊し、本書が出版されてから四半世紀を経た現在、
日本の経済は世界的な変化の波を受け
革命的とも言える構造改革も行われて来た。
そして企業の姿は戦前のアングロ・サクソン型に近づいてはいるが、
それが政治や国民の感性と波長が合っていないように見える。
日本人は日本国という大きな護送船団に乗っている時の方が
底力を発揮できるのかもしれない。
いや、護送船団に乗って「辛くてもみんなでガンバロー!」
と叫んでいるのが何よりも好きな極東の島の約1億人の集団こそ
真正の<日本人>と呼ばれるにふさわしい存在なのかもしれない。

 

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