いつか見た革命

 

次は大阪でG20。

注目の世界会議で、日本の首相はかなりはしゃいで、多分ちょっとすべります。

ちょっとくらいならいいのですが、大きく滑ってずっこけることにならないことを祈ります。

 

 

さて、そんなG20を含む現在の世界の枠組みは、かの冷戦終結から始まっています。
ベルリンの壁が崩壊して、時代の振り子はグローバリズムの方へ大きく振れて振れて振り切れました。
世界中のいたるところで「革命」の火の手が上がり、炎上、類焼、伝染、熱病と長く長く連鎖し、その都度多くの人たちが泣いたり叫んだり、殴ったり殴られたり、牢屋に入れられたり、亡命したり、難民になったり、撃たれたり死にかけたり、本当に死んだりしました。
(その間、日本はずっと「失われ」続けていました)
それからだいたい30年くらいたった今、その振り子は2~3割元に戻っているようです。
色の革命からは彩が抜け落ち、花の革命もすっかり萎れています。イギリスのEU離脱、米中の対立は言うに及ばず、国家は内向きで、国民は分断されることで安心を得ようとしているように見えます。国境をまたぐデジタルに対する制裁金や課税にもその傾向が表れているように感じられます。
「グローバリズムの推進」という言葉は、もうすっかり中身の燃え尽きた空虚なものに聞こえるようになりましたが、それはグローバリズムというものが社会や生活の一部になってしまったからなのでしょう。
グローバリズムが未来の<夢>でなくなったので、人々は過去のノスタルジーに熱狂するようになっているということなのかもしれません。
本来はここからが地に足の着いたステップを踏めるはずのところなのですが、夢見るように仕組まれた生き物は、夢に溺死することを夢見続けます。

時代の振り子はいつも行き過ぎた流行り廃りで、その都度多くの人たちが泣いたり叫んだり、殴ったり殴られたり・・・・それは何千年かの人類史で最も馴染み深いデジャブのひとつ、<いつか見た革命>です。

 

 

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