神仏に供えられたものが
「お下がり」として周囲に配られるという行為は、
富を再分配するある種の経済活動を表しているようだ。
寄進する者は自らの所有権を神に向けて放棄する。
寄進された「モノ」は世俗の権利関係から切り離され、
一旦この世のものではなくなる。
その時、財は浄化され「浄財」となる。
そして「浄財」は誰のものでもない新たな財
「お下がり」として世俗に還流する。
世俗の富の偏在が神の前の再分配として調整されるのである。
冨を再分配するために
社会の中心に超越者を据えるというのは
人類史上最大級の社会的発明であっただろう。
ここでもう一点重要なのは「上」と「下」という概念が
人びとを強く律していたということである。
天から始まって地の底へ降りて行くという秩序のある
強固な世界観がひろく共有されていたのだろう。
だからそのフォーマットで「上」と「下」が共通認識されたのだろう。
過去の階級社会は、その世界観が人間世界で表現されたものだったのだろう。
共通の世界観が強固であるほど社会の構造も強固なものになる。
そして「上」と「下」の世界観のゆらぎは、
身分制社会のゆらぎであり、自由と平等の台頭であり、
社会のカジュアル化であり、計算することであり、
人が空を飛ぶことであり、人が人を創造することであり、
世界をフラットな混乱に変化させてきたのである。