「お下がり」という発明

パンセバナー2

神仏に供えられたものが

「お下がり」として周囲に配られるという行為は、

富を再分配するある種の経済活動を表しているようだ。

寄進する者は自らの所有権を神に向けて放棄する。

寄進された「モノ」は世俗の権利関係から切り離され、

一旦この世のものではなくなる。

その時、財は浄化され「浄財」となる。

そして「浄財」は誰のものでもない新たな財

「お下がり」として世俗に還流する。

世俗の富の偏在が神の前の再分配として調整されるのである。

冨を再分配するために

社会の中心に超越者を据えるというのは

人類史上最大級の社会的発明であっただろう。


ここでもう一点重要なのは「上」と「下」という概念が

人びとを強く律していたということである。

天から始まって地の底へ降りて行くという秩序のある

強固な世界観がひろく共有されていたのだろう。

だからそのフォーマットで「上」と「下」が共通認識されたのだろう。

過去の階級社会は、その世界観が人間世界で表現されたものだったのだろう。

共通の世界観が強固であるほど社会の構造も強固なものになる。

そして「上」と「下」の世界観のゆらぎは、

身分制社会のゆらぎであり、自由と平等の台頭であり、

社会のカジュアル化であり、計算することであり、

人が空を飛ぶことであり、人が人を創造することであり、

世界をフラットな混乱に変化させてきたのである。

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