近江一之宮とされる大津の建部大社。
ここで毎年8月に行われる「船幸祭」は、
建部の主祭神である日本武尊の東征の故事にならい、
お神輿が瀬田川を下って、戻ってくるというお祭りです。
最期に1000発程度の花火も打ち上げられます。
写真は、そのお祭りの前夜の境内の様子です。
たくさんの御神燈が境内や参道を照らして、
ちょっと幻想的な美しさです。
明日の本番に向け、
只今 神様 御仕度中 です。
★建部大社 船幸祭シリーズ全4話
草津駅の近くで行われた「イナズマフードGP in 草津」。
名前だけ聞くと何のことだかよくわかりませんが、
毎年9月にびわ湖の烏丸半島で行われる「イナズマロックフェス」の関連イベントで、一言で言うと<屋台祭>です。
ちょっと怪しげなC級グルメがずらりと並ぶ仮設の盛り場。
ここで人気の高かった屋台が、本番のロックフェスにも出店できるという屋台の予選大会にもなっています。
裏返せば、ロックフェスとい音楽イベントにおいて、<屋台>というものが大きな意味をもっているということでしょう。
おもしろいのは、これが<ロックフェス>という枠組みを越えて、子どもから高齢者まで楽しめる地域のお祭りとなっているところです。
アイドルやお笑い芸人の舞台、キッズダンスにご当地キャラの着ぐるみショー、じゃんけん大会と盛り沢山の企画が組まれています。
ロックフェスが地域の活性化や高齢化に対応して、変化と拡大を続けているようにも思えます。
このイベントが開かれた場所は、飲食店やサービス・物販施設が並ぶ商業エリアとマンションが立ち並ぶ住宅エリアの境にある空き地です。
1日に28000人の乗車人数があるJR草津駅から徒歩3分の交差点に面した好立地ですが、西友草津店が撤退した2000年以降更地のままの9500㎡です。
近々市の交流施設が建設される予定らしいですが、このまま住宅と商業の境界線上の余裕の空間として、緑地化して柔軟に運用していくのもいいのかもしれません。
遊び場であり、憩いの場であり、盛り場でもある場所。
きっとその方がみんな楽しくて、
それには多額の建設費用も不要ですから。
石山寺の千日会と万灯供養。
この日にお参りすると千日分の功徳があるという
年に一度の超お得なスペシャルデイです。
万灯の下には供養の塔婆が吊り下げられています。
ということは境内に延々と並ぶ灯りは、霊の行列
ということになるのかもしれません。
と思ってみると
境内が夏の夜の肝試し会場のようにも見えます。
でも、これをちょっとカラフルにすれば七夕まつりにも見えるでしょう。
祀ると祭りの間に
それほど大きな隔たりはないのです。
石山寺は紫式部と縁が深いので、
源氏物語の薄幸のヒロイン「夕顔」にちなんだ
夕顔市も開かれていました。
<心あてに それかとぞ見る 白露の
光添えたる 夕顔の花>
夕顔の君が光源氏に渡した最初の歌。
今風に散文的にあからさまに言うと
<キャーかっこいい もしかしてあなたが噂の光さん!?>
というような内容のようです。
たった1時間のイベントのために、
毎年8月8日のタコの日の夜に
大津市の全人口に匹敵する35万人の人出がある
関西屈指の夏のイベント<びわ湖大花火大会>。
当日は通行止めとか一方通行とか場所取りとか
渋滞とか行列とか増発とかたいへんな状態ですが、
それでも毎年大きな混乱もなく
(もちろんマナー違反も一定割合で発生しますが・・・)
整然と混雑し続けています。
きっと渋滞も行列も
大きなイベントの雰囲気づくりの一部なのでしょう。
本来は低い位置で次々と開いて、
それが水上に映る
豪華で豪快ななスターマインが見ものなのですが、
それを見るには10万人くらいの人波をかき分けて前に進むか、
台風の中、徹夜で場所取りをするか、
1か月前に3900円を払って予約席を買うか、
を選択しなければなりません。
あまり近いと火花が降って来るかもしれません。
決断力と行動力と勇気と忍耐が必要です。
そんな試練の数々も
人生を豊かにする個人やファミリーや友人たちの
大切なライフイベントになるのでしょう。
地域イベントと個人イベントが重なって、
それぞれの物語が形作られます。
ちなみに今回の有料観覧席の数は27000席。
全部埋まればそれだけで1億円の収入なります。
開催費用が1億2千万円くらいですから
補助金・協賛金等々を入れると
ちゃんと黒字でしょう。
収支計算の物語もしっかり形作られています。
冒頭の写真は対岸の、直線で5kmくらい離れた場所からの撮影。
イベント後半の花火の画像を数枚重ねたものです。
明治37年(1904)竣工の京都府庁旧本館。
国の重要文化財でもあるとても立派な建物です。
二階の真ん中にバルコニーがあって、
庁舎というより権力者お屋敷という感じです。
西洋らしさとセレモニー性のド派手な演出。
それを当時の手持ちの技術と材料でどう組み上げるか。
日本の近代建築家と大工さんたちの格闘の成果です。
このノスタルジックでセレモニーな雰囲気、
そして丁寧な復元と意外なほどの採光の良さは、
コスプレイヤーたちの大きな支持を得ていたようですが、
今はコスプレイベントは受け付けていないようです。
考えてみると、
物語の登場人物になりきるための
涙ぐましい努力という意味では、
この建物やその主たち、あるいは時代そのものも、
一種のコスプレーヤーだったのかもしれません。
世界地図という舞台の上で、「西洋」というコスチュームを着こなし、それになりきろうとした時代。
役柄はその後アジアの豪傑から天下の大悪人へと変わっていきますが、この場所はひとつの時代の痕跡として残り続けています。
京都は街が博物館です。
びわ湖に浮かぶ鳥居で有名な白髭神社。
歴史は滋賀でも一番古いとも言われる神社なのですが、この鳥居は意外と新しい。
現在のものは昭和56年(1981年)に再建されたもので、その前も昭和12年(1937年)に寄進されたものでした。
そしてその前は伝説の鳥居だったようです。
湖上の鳥居ほど有名でない猿田彦命を祀った本殿の方は1603年の造営で国の重要文化財に指定されています。
本殿に合わせて建てられた拝殿は明治期のもの。
他にも11の社があります。
その11の社の中で一番興味深いのが、最も奥にある岩戸社。
ここには古墳時代の横穴式石室が祀られています。
岩戸社の横には磐座もあります。
そして周辺にはたくさんの加工された石が散らばっていて、
石垣も残されています。
いったいこのあたりには何があったのか。
そしてこの山の古墳群と神社の創建にはどんなかかわりがあるのか。
すごく気になるところです。
そんなことを考えながら、ひぐらしたちの凄まじい合唱が響き渡るこの場所にひとり立っていると、次第に時間の感覚がぼやけてきます。
延々と繰り返される音に包まれていると、5分経ったのか、10分経ったのか、それとも30秒か、1時間かがわからなくなってしまいます。
そして400年前も1300年前もわからなくなって、現代の風景に戦国時代や古墳時代が、重なって見えてきます。
ここは時代と時間が重なりながら豊かな腐葉土がつくられていく特別な場所。歴史のパワースポット。
そしてそんな場所には新たな歴史が、また力強く芽生えるものなのかもしれません。
織田信長によって制圧された高島の地に築かれた大溝城。
びわ湖の入り江を利用した水城でした。
城そのものは江戸時代の初めに取り壊されて、内堀だった部分も埋められいます。
現在、乙女ヶ池と呼ばれている場所はその入江の一部でした。
この地域には城跡、寺院跡、古墳群などの遺跡が残されていて、多くの歴史と人々の生活が折り重なっています。古代の渡来人や壬申の乱まで出てきますが、それらも今は自然の中に溶け込み、とても静かです。乙女ヶ池ものんびりとバス釣りを楽しめる公園になっています。
人の築く歴史は、時々途切れて、忘れられてはまた時々思い出される、ランダムで心細いものですが、残されたそのか細くもつれたつながりをたどることで、世界の奥の深いその先を垣間見ることもできます。