聖徳太子によって、渡来人のために建てられたという伝承のある
湖東三山のひとつ百済寺。
「クダラ」ではなく「ヒャクサイ」と読むのがここのこだわりです。
「百済」はもともと「伯済」と書き、
「ハクサイ」と呼ばれていたからだそうです。
戦国時代の終盤にルイス・フロイスが
1000坊が立ち並ぶ<地上の天国>と記したこの場所は、
近江焦土作戦とも思える信長の連続焼き討ちの中で
一旦消失してしまいます。
この素晴らしい庭園も、残されたかつての庭園に
百済寺山内から集められた石を組み合わせて作り直されたものです。
450年前の<天国の記憶を集めた庭>と言えるかもしれません。
西に開けるこの眺望には太郎坊や比叡山が含まれ、
そのはるか先はかつての百済国に向かっているとのことです。
仁王門と本堂に向かう参道。
かつて両脇に多くの僧房が並んでいたという
この石段の表情は絶品。
仁王門の大わらじには満願成就の願いを込めた1円玉が
たくさん差し込まれています。
なぜ5円や100円や10円ではなく「1円」なのかは不明ですが、
金額が大きいと満願成就する前に盗まれてしまう恐れがあるからかもしれません。
今は狭い場所で深い静寂に包まれている感じの本堂ですが、
焼き討ち前はこの奥の10倍の広さの場所に
4倍の面積のものが建てられていたそうです。
横には五重塔まであったということです。
地上天国1000坊の頂点は、それに見合う立派なものだったようです。