『没落する文明』萱野稔人 神里達博 著 2012年刊 集英社新書

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没落する文明

 

没落する文明
萱野稔人 神里達博 著
2012年刊 集英社新書

哲学の萱野稔人と科学史の神里達博による対談。
組合せとしては興味深いし、
それぞれがおもしろい意見を述べられているけれど、
対談のコーディネートとしてはあまりこなれていない気がします。
(書籍としての編集時点での問題かもしれません。)
萱野稔人がホストの立場に徹しているニコ生での対談の方が
<没落する文明>としてはしっくりきます。
(といっても、ニコ生的なちょっと刺激的な放談という感じですが…)

対談の後半で、社会の近代化の特徴として、
人が「身分」から「役職」へと抽象化されることが述べられています。
話の本筋からは、少し離れたところですが、
これはたいへん重要な指摘です。
現代に生きる我々にとっては「身分」などというものは、
とっくに滅びてしまった不自由で非効率極まりない制度に過ぎません。
しかしそれが数百年、数千年単位で社会の基本になっていたのにも、
それなりの理由があったのでしょう。
近代的な「役職」が抽象的でヴァーチャルなものだとするなら、
それ以前の「身分」は具体的でリアルなものだったはずです。
「役職」は制服を着ている間だけの、その場限りのものですが、
「身分」は生まれる前の先祖代々から死んだ後の子孫代々まで
ずっと続くものです。
その二つは質も重みもまったく違います。
ヴァーチャルという意味では「役職」は貨幣やスマホの仲間であり、
リアルという意味では「身分」は宗教やナショナリズムと並ぶものです。
リアルとヴァーチャルの違いは、人がそのことに命を懸けるかどうかです。
もしかしたら、無条件に信じられるリアルを失って、
ヴァーチャルと戯れることしかできなくなっていく状況こそが、
悪魔に魂を売り渡してしまった文明の没落を示しているのかもしれません。
(そんなことはまったく述べられていませんが…)

 

 

以下、本文より・・・

・神里:結局、統治能力というのは、
巨大な外敵に対してどういう力をもっているかによって試される
・神里:東京都全域に一様に1センチの降灰があったとすると、
それをすべて除去するには10トンダンプでおよそ200万台が必要
・神里:公道に積もった灰を取り除くだけでも、ダンプ18万6000台が必要
・神里:水源に灰が降ってしまうと、容易に上水道がダメになるんです。
浄水場の濾過槽地が、そんな災害を想定してつくられてはいない。
・神里:日本では天変地異がじつは革命の役割を果たしている
・神里:歴史家の北原糸子さんは30年近く前にすでに
著書『安政大地震と民衆』のなかで、
まさに「災害ユートピア」という言葉を使って、
同様の現象が安政の江戸地震において出現したことを述べています。
・萱野:大災害の甚大さをまえに権力がいかに無力なものかという意識が、
歴史をつうじて社会のなかに埋め込まれてきた
・神里:祭政一致の社会においては、
神の怒りとしての地震を制御できた者こそ、
為政者にふさわしいとみなされるからです。
そのため、地震が一種の淘汰圧として働き、
小集団の部族から大きな帝国へと成長していく契機になった
・萱野:国家のもともとの姿は「土木工事の事業主」だった
←『千のプラトー』
・萱野:「労働の組織化」国家は切り離せない
←ドゥールーズ=ガタリ
・萱野:ヤクザの起源のひとつが江戸初期にできた町奴という集団
←人足の口入れ屋、つまり土木建設の労働者を集めて
現場に送り込んでいた業者のまわり形成された荒くれ者集団
←猪野健治『ヤクザと日本人』
・萱野:社会の荒くれ者を労働のために組織することで、
裏の組織暴力であるヤクザは生まれてきた
・萱野:みんなでなんとなく決定することをよしとするのが日本人の「反権力」
・萱野:専門家がなんらかの利権のために発言しているという
物語をつくることによって、なんとなく問題を解決したきになっている
・萱野:客観的な話がイデオロギー化されてしまうのが、言霊信仰
・萱野:道徳的な潔癖主義は、むしろ複雑に絡みあった問題を
ひとつずつ解決していくという努力を抑圧してしまう
・萱野:家族というものの根底には、性をめぐる葛藤を抑え、
集団のもとで暴力を制御するための戦略が埋め込まれている
・萱野:『農業は人間の原罪である』コリン・タッジ
・萱野:『人類史の中の定住革命』西田正規
・萱野:土地、労働、生産物、この三つが権力の生態にとっての基本要素
・萱野:農民たちの武装解除ではなく、
彼らの暴力行使を制限しようとしたところに、刀狩の目的があった
・萱野:刀狩りそのものがかなり近代的な発想
秀吉は、大名同士の境界争いも私戦として禁止
・萱野:近代的な国家のもとでは、
武士という特定の「身分」ではなく、
軍隊や警察といった「役職」に武装の権利が付与される
・萱野:暴力への権利が「身分」に属するものから
「役職」に属するものへと抽象化されるところに、近代国家の特徴がある
・神里:リスク処理の分業化
←中央集権による治水のリスク管理
・萱野:近代国家が成立してくるプロセスでは、
権利が抽象化され、国家のもとへ吸収されていくと同時に、
リスクに関する当事者性を希薄にしていく
・神里:土木工事と軍事技術は、テクノロジーとしてひじょうに近接的なもの
・神里:強力な毒素を産出するような、危険な遺伝子を使った組み換え
・萱野:技術は新しい技術によってしか克服されない
・神里:リスクをともなう技術に対しては、
それを制御する技術を対置させることで、
かろうじてバランスをとるかたちでしか、
残念ながらわれわれの幸せというのは担保できない。
・萱野:国家そのものが集団的な意志決定の場所であり、
権力の場所でもあるので、国家の主権が存続するかぎり、
それにむすびついた言語も存続する。
・神里:科学が技術に本格的に火をつけるようになるには、
20世紀のアメリカまで待たなければならない
・萱野:サイエンスは言語を使わなければならない
・萱野:世界で最初に工学部を擁した総合大学は東京大学
・新里:人類にとって、技術はかならずしも
手の内にあるわけではないというパラドックス
・萱野:私たちは自分たちの意志で近代国家を設立したのではなく、
テクノロジーの進展によっていやおうなく国家をもつようになった
←銃と軍事上のテクノロジーが近代国家を成立させた
・萱野:決して人びとは意志的に近代国家を設立したわけではない
・萱野:テクノロジーというのは、
人間の存在を規定するような存在論的な力をもっていて、
人間がみずからの意志でコントロールできるものではなく、
逆に人間がその進展によって、
ものの知覚の仕方から、考え方、
社会関係のあり方にいたるまで規定されてしまう
・神里:自由というものとリスクというものは、完全に裏表になっている
・神里:その責任が神様から人間におりてくる。
だから技術によって人間がなにかを選択できるようになると、
いい技術か悪い技術かということに関係なく、
自動的にリスクが増えるという原理になっている
・萱野:テクノロジーを発明することは事故を発明すること
←『アクシデント 事故と文明』ポール・ヴィオリリオ
・萱野:1世紀から19世紀初頭までは、
一人当たりの所得で見た世界経済はほとんど成長していない
←アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』
・萱野:資本主義の歴史から見てもかならずしも当たり前のものではない
←経済成長
・萱野:生産力の拡大と人口の爆発的増加を
ともにもたらした化石燃料によるエネルギー革命が決定的だった
←経済成長の要因
・萱野:石炭の採掘において1の単位のエネルギーを投入すれば、
何十倍ものエネルギーの石炭を採掘できるようになった
・萱野:石油の採掘は、19世紀後半にアメリカで
機械掘りの油井による石油採掘が成功したことによって本格化
・萱野:産業革命以降の化石エネルギーの活用によって、
世界人口は現在まで10倍になり、
エネルギー消費量は約40倍になりました
・新里::化石燃料の底が見えてきた現代社会も
脱物質文明化のほうに向かっていく
・新里:ドイツのフリッツ・ハーバー
→塩素の毒ガス兵器開発
→空気中の窒素を化学的に固定するアンモニア人工合成の確立
・萱野:30年ほどのあいだに、石炭、石油、原子力というかたちで
中心的なエネルギーが交代していった
・神里:エネルギーとテクノロジーの掛け算で大きなリスクを生みだすし、
グローバリゼーションによって拡散性が高まっている
・萱野:鉄の生産が増えれば上下水道も整備されるようになり、
公衆衛生が改善し、死亡率が劇的に下がります。
子どもの死亡率が下がれば、人口は一気に増える。

 

 

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