明治神宮は鎮座100年に向けて、現在突貫工事中です。
明治天皇と昭憲皇太后がここに祀られたのが大正9年(1920年)で、次の東京オリンピックの年(2020年)が鎮座100年にあたります。
前回のオリンピックの時も明治神宮のある代々木と神宮外苑は主要な会場であり、オリンピックと明治神宮の間には深い関係がありそうです。
むしろ鎮座100年に合わせて、何が何でもTOKYO2020招致が行われたのではないかと思えるくらいです。
もちろんオリンピックの招致は以前から行われてはいましたが、2020へのこだわりには特別なものを感じます。
・・・感覚的なものでしかありませんが・・・
そこで重要なキーワードが「国威発揚」です。
明治神宮は開国から富国強兵へと進んだ近代日本のシンボルである明治天皇を祀る場所です。
代々木は占領軍施設だったところを、オリンピックを契機に日本が取り戻した場所であり、代々木競技場は戦後日本の技術力の高さを世界に誇示する建築でした。
そして世界的に有名になったこの建物は、明治神宮本殿正面の直線上にあり、屋根の形は神社の社殿を思わせ、上から見た形は勾玉のようです。
丹下健三の天才的なひらめきに満ちたこの建物は、明治神宮と一体的に存在し、近代世界における日本の「国威」を端的に表すものとなっています。歴史的にも意匠的にもです。
だからこの場所であり、だからその年でなければならなかったと思えるのです。
さらに言えば、だから新国立競技場は徹底的にザハではなく、絶対的必然的に隈研吾でなければならなかったとも思えます。
隈研吾は丹下健三の設計した代々木競技場を見て、建築家を志した人であり、現在建設中の明治神宮ミュージアムの設計者でもあります。
神宮本殿の直線上に丹下があり、さらにその延長線上に隈があるとも言えるでしょう。
最初から本命だったはずの人が、最初は応募さえせずに、決定後の大どんでん返しであっさり設計者に決まるというのは、あまりに劇的で出来過ぎの感もあります。
そしてもうひとつ重要なのが、100年前に11万人の勤労奉仕で植林され、設計通りに原生林化した<神宮の杜>の存在です。
近代的科学的知識と国民の団結によって人工的に完全な森林をつくることに成功していることと、巨大でモダン建築を膨大な木材で覆う隈健吾は、100年の時を経て共鳴しています。
神道的であり復古的でありナチュラリズムでもあるものが、同時に近代的であり科学的てありナショナリズムでもあること。
気高い奉仕の精神と愛国心と信仰心と洗脳的教育と強制的労働と植民地支配とが、解き難くワンセットで提示されること。
TOKYO2020は、一見矛盾するものをシームレスに結びつけるハイブリット技術によって出来上がっていくのかもしれません。
そしてそこで<和魂洋才>が日本人のアイデンティティとして再発見されていくのかもしれません。