びわ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)に隣接して、造成されたイングリッシュガーデン。
四季の楽しみありますが、これからの季節は多くの種類のバラがメインになります。
湖岸にあるこの庭園からは、近くにヨットや観光船、対岸にオペラハウスやリゾートホテルが見えます。
庭園に向かって観光船が突っ込んでくるように見えるのは、ちょっと意外で驚きがあります。
砂浜に乗り上げるサーフボードみたいです。
びわ湖大津館は平成10年に移転した琵琶湖ホテルの旧本館である。
旧琵琶湖ホテルは昭和9年(1934年)に、当時の鉄道省によって建てられた「湖国の迎賓館」であり、経産省の認定する「近代化産業遺産」のひとつである。
当時の時代精神を反映しているのか、かなり強引な感じもする鉄筋コンクリートの和風様式である。
近代の技術を駆使して和風が洋風を飲み込んでいるような姿だ。
このホテルが建設された昭和9年は、日本が満州に傀儡国家を建設して周辺国との軋轢が高まっていた年でもある。
にもかかわらず、一方でこのような国際観光の拠点整備も進めていたのであるから、国内向けには威勢のいいことを言いながら、国外の勢力と全面衝突するような事態は考えていなかったのだろう。
根拠薄弱な大いなる楽観と、その先にある必然の挫折。
海外M&Aに失敗して会社の存続が危うくなっている現代日本の重電メーカーと重なる姿である。
急激な近代化とその挫折の名残り。それが「近代化産業遺産」の意味だろうか。
このホテルの3階にある、最も見晴らしのいい貴賓室からは、広々としたびわ湖の景色とともに、よく手入れされた庭が見える。
かつて敵国であったイギリス式の回遊庭園であるが、今では帝国式近代和風建築と折衷されて湖国の観光資本になっている。
びわ湖の湖岸235kmの周辺の土地は、建物を建てて利用するのは難しいので、細長い公園になっているところが多い。
大津市の「湖岸なぎさ公園」もそんな場所のひとつで、ここは平均64mの幅で長さは4.8kmである。
びわ湖の西側の細長い土地というだけでは、雄大なびわ湖を臨む単調なランニングコースか、雄大なびわ湖を臨む巨大な釣り堀にしかならないので、所々に公園らしい仕掛けがある。
なぎさ公園のシバザクラもそんな仕掛けのひとつで、ゴールデンウィークの前後にきれいに咲き揃うように手入れされている。
そしてこの細長い公園の途中に近江大橋がある。
この写真の遠くに見えているのがその近江大橋であるが、なぎさ公園はその先にまだまだ続いている…
もちろん、その対岸にも、対岸の先にも長い長い別の公園が続いていて…………
びわ湖岸は235kmの果てにここに戻ってくる。
比叡山延暦寺との仁義なき戦いを越えて生き延びてきた不死身の寺、天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)
宗派間抗争がいったん始まると、双方が引くに引けない殲滅戦になってしまうのは、今も昔も同じであるが、第三者的にはどうしてそこまでの状態になるのかいまいちわからないところがある。
そういう抗争の発端はたいてい跡目争いで、それは同時に誰が莫大な利権を引き継ぐかという相続争いでもある。
身内が相続争いから生涯縁遠くなってしまうのも、昔も今も同じで、それは寺院でも貴族でも庶民でも変わらない。
庶民なら絶縁状態くらいで済むが、面子のレベルが桁違いに高い人たちの場合は、それが配下らによる破壊と殺戮に至ることになる。
そしてすぐに最初の原因が何であったかはどうでもよくなって、それぞれの構成員がそれぞれのグループに対する忠誠心を示すためだけの純粋な抗争のための抗争になってしまうのである。
そんな極道な過去のある三井寺であるが、何百年かはそれなりに平穏に年を重ね、見晴らしのいいこの場所でたくさんの国宝や重要文化財としてゆったり暮らしている。
お子様からマニアまで楽しめる、もちろんお子様でもマニアでもなくてもとても楽しめる京都の鉄道博物館。
実物車両いっぱい、模型いっぱい、鉄道雑学盛り沢山です。
見どころだらけではありますが、ここに展示されている車両を見比べて思うのは、ディーゼルや蒸気機関車に見られる力強さです。
それは動力機関の特性から来るもので、長くて重い車両を長距離引いていくための大きな力の源が車両デザインに反映されるからでしょう。
要するに顔がデカくて押し出しが強い。
車両を真下から見ることのできる展示もありますが、そこでも動力の発生と制御に関する複雑な形を見ることができます。
蒸気機関車の場合、力の源は燃料の石炭から見えていて、火を吐き、煙も蒸気も吹き出す、むき出しの力の塊です。
そのむき出しの強烈な力こそが、近代世界を切り開いた<鉄道>の本領でしょう。
だからSLはそのレトロな魅力を含め、今でも高い人気を誇っているのでしょう。
どんなに新しくスマートな車両が登場しても、その本質・原点は変わりません。
それからもう一つの原点、トワイライトエクスプレス。
この豪華な寝台列車が現在のクルーズトレインへと飛躍することになります。
こういう列車には、最低3度は乗りたいところ。
1度目は車窓の移り変わる風景をたのしみ、
2度目は食事やサービスや列車の造作をたのしみ、
3度目にはエクスプレス通になって、自宅にいるような気分で、ゆったり時間をたのしむ。
それがセレブなシルバーのあり方、
などと考えながらぼんやり中をのぞいているが、今のところ精一杯の贅沢…
ここはお子様でもマニアでもセレブなシルバーでもなくても、食堂車のお手頃ピラフを食べたり、トイレのサインを見ているだけでも、とても楽しい場所です。
酒税法の改正に関するKLCの勉強会に参加させていただきました。
場所は京都駅前のベーコンラボという貸し会議室でした。
酒類の安売りを規制する法律が来月(平成29年6月1日)から施工されるため、その考え方や注意事項に関するものです。
今回の改正は、わりと大がかりなもので、国税局と公正取引委員会が連携して活動されるということです。
税務署主催の説明会も開催されたのですが、そちらは話が全般的かつ抽象的でわかりにくいものでしたが、こちらではそれをより具体的、実践的に説明していただきました。
他にも本部と会議会場をつないでの商品説明や、6000アイテム以上のお酒が掲載されたカタログシステムの説明などもおこなわれました。
『ナショナリズムの歴史と現在』
EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳
2001年刊 大月書店
19世紀の初めには王の霊的な権威が地に落ちて
その世紀の終わりには
「善良なる神が、もう一度私たちに平和をお与えくださりますれば」が、
「社会主義者たちが平和の実現をめざしているそうだ」に変わった。
世紀が変わると、神様のいないネイション―ステイトは
産業と戦争のための巨大な機械になっていた。
世界中の人々を100年間熱狂させ続けたナショナリズムは
文化の問題を装いながら
<その核心において>は
<権力や地位や政策やイデオロギー>の問題であった。
現在はその本質がどんどん露になって、
ナショナリズムは
虐殺による権力奪取を正当化するための口実でしかなくなった。
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『ナショナリズム入門』
植村和秀 著
2014年刊 講談社現代新書
ナショナリズムの用語、概念の解説から
日本をはじめとする世界の地域ごとのネイションの作られ方の違い、
その歴史、問題点、現状を追って
最期にネイションと政治の関係を考えるという
とても真っ当な入門書。
国家と国民と民族が一致するのが
当たり前のことだと理解する日本の特殊性と
それが一致しないことで起きている膨大で甚大な悲劇。
それを知らないと、知ろうとしないと
<日本は平和でよかったね。世界は日本を見習えばいい>
というような全く的外れなことを語りかねない。
いや、日本人の過半数は多分それに近いイメージを抱いているだろう。
日本人の民族、宗教、平和に対する感度は低い。
そしてただ平和を享受しているだけでは、平和を愛せるようにはならない。
『ナショナリズムは悪なのか』
萱野稔人 著
2013年刊 NHK出版新書
国家とナショナリズムと近代に関するわかりやすい議論である。
ウェーバー、ゲルナー、アンダーソンから
ドゥルーズ=ガタリ、フーコーへと順を追って進められていく。
現実に即した世界の読み方である。 基本的にはいい内容だと思う。
だからこそ、あまり日本の人文思想界を批判する必要はないと思う。
批判に傾くと論旨が定まりにくくなる。
批判を入れるにしても議論の端々で軽く触れるくらいで十分だろう。
読者は批判を読みたいわけではないだろう。時間の無駄である。
それから引用が長くなり過ぎて、議論の方向が不安定になるような気もする。
編集に問題があるのかもしれない。