西国三十三所十二番のやや地味な霊場である岩間寺(岩間山正法寺)。
ここには重厚な山門も高僧の作った庭も国宝もなく
桜や紅葉のライトアップの名所でもありませんが、
1300年の歴史と桂の木と芭蕉の蛙が飛び込んだ古池、
雷除け厄除けぼけ封じをしながら
美人にもなれるという御利益はあります。
といっても、災害も医療も美容も
セキュリティや保険や医薬品や健康食品や
化粧品や整形美容関係の数多の企業が
全速力で解決してくれる現代において
お寺の御利益は企業の経常利益ほど重視されていません。
御本尊で秘仏の千手観音は汗まみれになって
毎晩人々の救済に働いておられる「汗かき観音」。
とても有難いお話ですが
今の時代にはファブリーズされそうな気もします。
このあたりは東海自然歩道の京都と滋賀の境目で、
その名の通り自然が盛りだくさんの
滑って躓いて転んで泥んこの傷だらけになりそうな
ワイルドな道が続いています。
途中でこんなのぼりに出会うと
自分はこのまま道に迷って谷底に落ちて
人知れずナチュラルな樹木葬に
なってしまうのではないかと思えてきます。
そう思いだすと目に入るものが
すべて樹木葬の痕跡のように見えてきます。
蜘蛛の糸で仏の世界に導いていただける樹木葬、
にしか見えませんがこれは御献木。
岩間山中で放棄された宅地が
森に飲み込まれていく姿は
人類の営みが長い時間をかけて
自然に回収されていく
地球スケールの樹木葬という感じです。
考えてみれば
死ぬことが生命の前提である以上
生命のはじまりから現在まで
死ななかった生命は定義上ありえません。
「死」あっての「いのち」です。
だとすれば
生命のはじまりから現在までの地球は
ずっとずっとどこまで行っても終わらない
球形の墓地として回り続けている
とも言える。
この地球上ではいつでもどこでも
手を合わせればそこは誰かのお墓になるのです。
1300年前に彫り出された桂の木の観音像から始まるこの地で、
1300年くらい後の人たちがこの船の樹木葬を掘り出したら、
びわ湖版ノアの箱舟のような
新たな神話を語り始めるかもしれません。
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