誕生のゆらぎ ~いのちを判断するもの~

パンセバナー2

 

出産という行為が、産屋で産婆によって行われていた時代。

産み落とされたものを、<いのち>としてトリアゲルかどうかは

産婆の判断に委ねられていた。

 

明治以降、富国強兵の世相では

産まないという判断の余地は狭くなっていった。

大正期にはその反動と自由の風潮から

平塚らいてうが避妊の権利を訴えるようになった。

多くのいのちが失われた戦争の時代を経て

一気に260万人が生まれ続けるベビーブームになり

優生保護法が施行されると年間100万人が中絶届けを出すようになり

さらに100万人が届けを出さずに中絶した。

誕生は大きく揺らいだ。

 

胎児をデキモノのように「取る」時代には

その反動として水子供養を流行らせた。

そしてどんな赤ん坊も絶対死なせないというのが

医学のミッションになった。

 

何を<いのち>として認識するかは

その時代時代の判断によるところも大きい。

現在は「受精卵は生命の萌芽」(文部科学省)である。

<いのち>を判断するのは医学と政治でもあるのだ。

 

 

argobook51

参考文献:『近代化のなかの誕生と死』

国立歴史民俗博物館+山田慎也 2013年

 

 

パンセバナー7

パンセバナー6

誕生のゆらぎ ~いのちを判断するもの~” への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA