出産という行為が、産屋で産婆によって行われていた時代。
産み落とされたものを、<いのち>としてトリアゲルかどうかは
産婆の判断に委ねられていた。
明治以降、富国強兵の世相では
産まないという判断の余地は狭くなっていった。
大正期にはその反動と自由の風潮から
平塚らいてうが避妊の権利を訴えるようになった。
多くのいのちが失われた戦争の時代を経て
一気に260万人が生まれ続けるベビーブームになり
優生保護法が施行されると年間100万人が中絶届けを出すようになり
さらに100万人が届けを出さずに中絶した。
誕生は大きく揺らいだ。
胎児をデキモノのように「取る」時代には
その反動として水子供養を流行らせた。
そしてどんな赤ん坊も絶対死なせないというのが
医学のミッションになった。
何を<いのち>として認識するかは
その時代時代の判断によるところも大きい。
現在は「受精卵は生命の萌芽」(文部科学省)である。
<いのち>を判断するのは医学と政治でもあるのだ。
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