貢献のはじまるとき

パンセバナー2

 

個人・法人を問わず「社会貢献」の重要性が語られることは多い。

「社会貢献」が盛んになるのは社会の成熟の証であるとも言われる。

それはなぜか?

個人の衣食住が整って文化や社会全体に

目が向けられるようになるからであろうか。

豊かになりお金持ちになり過ぎた人が

自らの富裕さを誇示するために寄付がはじまるのだろうか。

確かに一面ではそういうこともあるだろう。

でもそれは現象の一部分であって本質ではない。

 

マネー3

 

では、その本質は何か?

それは自らの成り立ちへの気付きであろう。

個人であれ、法人であれ

今ここに存在していられるのは

社会というものの存在を前提としてのことである。

社会があることによって個人も法人も存在できる。

自らの存在がその社会によって

与えられ支えられているものであると気付いた時、

与えられたものへのお返しとして<貢献>が始まるのである。

見返りを求めず一方的に貢ぎ、献げるのは、

すでに多くを受け取ってしまっているからである。

 

存在は与えられたギフトであり

貢献は行動するギフトである。

 

それは自然に対しても同じである。

自らの命が自然によって与えられたものだと気付いた時

内的動機に導かれた環境保全がはじまるのである。

そしてそういう気付きを得て

「ありがとう」と言えるようになることを

<成熟>というのであり、

その成熟は年齢とも収入とも無関係である。

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