「結婚の儀」から「恋愛ドラマ」へ

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天皇家の結婚式である「結婚の儀」は、

日本における一般的な結婚式のお手本とされてきましたが、

それが始まったのは明治33年(1900年)5月10日。

大正天皇の婚礼の日からです。

宮中での婚儀から馬車でのパレード、

新郎新婦が手に手をとっての饗宴、そして新婚旅行…

という当時としては時代の最先端を切り開くような

極めてモダンな結婚式の姿でした。

中央集権の統一近代国家たらんとする当時の日本において、

その統一の中心であったのは天皇ですから婚礼においても

天皇家の式次第がスタンダードとなったわけです。

しかし、それは国家が法律で結婚式の方法を決めたということではありません。

天皇家方式を一般の結婚式に広めたのは、

初めが神社(おそらく神様が縁結びに担ぎ出されるのもこの頃以降でしょう)で、

次に結婚プロデュース業やホテル業界でした。

明治42年に麻布で設立された永嶋婚礼会という会社が

婚礼に必要な道具一式のリースと神職や巫女の人材派遣を始めて、

それが帝国ホテルと結び付き披露宴や写真、花嫁の美容なども付加して、

式から披露宴までをワンストップで行う結婚式一式が出来上がりました。

そこからは工業国として力をつけていく日本の社会の流れに沿って、

判で押してベルトコンベヤーで流されるように全国で同じ式次第が量産されるようになっていきました。

高度成長期には昭和のロイヤル・ウェディングがあり、

その情報はテレビという革命的機器によって

全国一律に一瞬で同時に届けられます。

ここにインスタント革命が起こり、

結婚式も単なる量産からインスタント・ウェディングへ進化します。

全国一律に誰もが3分で同じ幸せになれる時代。

そして3分毎に慌ただしく次の幸せに駆り立てられる時代。

そして日本が量産型工業国として世界の頂点に向っていくとともに、

量産型「結婚式」も大きな産業になっていったのですが、

日本がその頂点から滑り落ちていくのと同時に、

量産型結婚式も崩壊に向いました。

今ではある程度量産されながらも、かなり多品種に変化しています。

ファスト・ウェディングの時代といえるでしょう。

 

国家の中心から現人神の姿が薄れていくとともに、

その向こうに光り輝く自由の女神が姿を見せ始め、

挙式は神式からキリスト教式が増えていきます。

神風を吹かせることができなかった日本の神様から

豊かな物量を誇って見せるアメリカの神様へ、

神のバトンタッチが次第に進んだのです。

祝詞の厳粛さからステンドグラスの華やかさへの変化でもあります。

 

おもしろいことに「結婚」はチャペルでも、

その前の段階の「縁結び」は相変わらず神社の専売特許で

、神前式が衰退しても縁結びはパワースポットや

観光・村おこしとも連携しながら新たな発展を遂げています。

これは<ドラマが変わった>ということかもしれません。

天皇を中心として日本全体で作ってきた

壮大な繁栄国家のドラマが最終回を迎え、

続編は個人が各々に恋愛を追いかける群像ドラマになっている

という感じでしょうか。

生涯を誓う結婚式には唯一神、それ以外の人生の多様性には

何でも屋の八百万の神々という神様の使い分けが定着しているのも

おもしろいところです。

 

参考文献:『冠婚葬祭のひみつ』 斎藤美奈子 岩波新書 2006年

『皇室の冠婚葬祭』 塚田義明 KKベストセラーズ 1993年

冠婚葬祭の秘密

 

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