「 パンセの書庫 」記事一覧

2016.08.20 パンセの書庫

『マルセル・モースの世界』 モース研究会 著

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『マルセル・モースの世界』
モース研究会 著
2011年刊 平凡社新書

 

 

「贈与」とは、贈与されるモノのことではなくそこに加えられた力と

その方向性のことである。

そのモノの上にも横にも中にも何もなくても力はそれを動かし続ける。

モースという人の精力的な活動について読んでいると、

その活動がモース自身の意思だけではなく、

それを越えた力を加えられることによって動いていたような気がする。

まるでモース自身が大きな力を加えられた「贈り物」であったかのようにである。

 

 

彼は、自分に加えられ、与えられた力を素直に受け入れ精一杯行動した。
時代は晩年の彼を絶望的な状況に追い込みはしたが、

モースの思想や研究やその行動は、 その時代の壁を軽々と越えるものになった。

モースの贈り物、あるいはモースという贈り物は

現在も受け継がれ広がっている。

人は限りある存在でありながら、その限界をはるかに越えたものを志向し、

それに挑む。
全身全霊を傾けて。

 

そこには信念があり、その信念が個人の損得を越えたものであれば、
その信念は個人の枠を越えて強く大きな流れを作り出す。

 

 

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2016.08.20 パンセの書庫

『西太平洋の遠洋航海者』 B・マリノフスキ 著 増田義郎 訳

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『西太平洋の遠洋航海者』
B・マリノフスキ 著 増田義郎 訳
1967年刊行 中央公論社 『世界の名著59』収録 (抄訳)
2010年刊行 講談社学術文庫 (抄訳)

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『西太平洋の遠洋航海者』(Argonauts of the Western Pacific)は
1922年に発表された、人類学者マリノフスキ(Bronis?aw Kasper Malinowski)の主著である。

 

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2016.08.20 パンセの書庫

『野生の思考』 C.レヴィ=ストロース 著

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原題は La Pensée sauvage
本国での発表は1962年である。

とても饒舌な本である。
そして難解でありながら単純でもある。

要するに、
<現代的っていうか、科学的っていうか、
同じものをダーッと作る「栽培された思考」もいいんだけれど、
そのすぐ隣には 色とりどりに咲き乱れる「野生の思考」っていうのもあって
それもちゃんと見た方がいいよ。
ほら、きれいじゃん。この表紙の野生のパンジーみたいに。>
なのだけれども、
人によっては「器用仕事(ブリコラージュ)」や「隠喩」
あるいは「カレイドスコープ」や「鏡」といった部分を中心に
読んでいくかもしれないし、
前著から続く「トーテム」や次に続く「神話論理」と関連付けに
重点を置くかもしれない。
全部まとめて「文化相対主義」と結論付けてもいいのだろう。
三色スミレの「構造」と文化の比喩から人間の思考を探る、というのもありだろう。
割と自由に読んでいいような気がする。

このさまざまなキーワードがいくつも重なり合いながら、
部分と全体が呼応していく面倒くささみたいなものが
(それが音楽的といわれるところなのかもしれない)
たぶんこの本の身上なので、
それをわかるためには
<どこから読んでもいいけど全部読んでね>
なのだと思う。
なにしろ、表紙の図柄の謎解きが
最後の付録の3ページに書かれていて
それも回答はなくてヒントだけ、
答えは本文の中で探ってね、
というような構成なのだから。

 

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『野生の思考』 C.レヴィ=ストロース 著

大橋保夫 訳 1976年 みすず書房

 

 

以下、本文より・・・

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2016.08.20 パンセの書庫

『近代化のなかの誕生と死』 国立歴史民俗博物館+山田慎也 編

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日本国内における誕生と死に関する人々の認識の変化を
明治から昭和にかけての儀礼の変化を通して考える論文集。
国立歴史民俗博物館の展示の再構築に関するフォーラムの内容を
書籍化したものである

 

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『近代化のなかの誕生と死』

国立歴史民俗博物館+山田慎也 編
2013年刊 岩田書院

 

以下、本文より・・・

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2016.07.18 パンセの書庫

貢献のはじまるとき

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個人・法人を問わず「社会貢献」の重要性が語られることは多い。

「社会貢献」が盛んになるのは社会の成熟の証であるとも言われる。

それはなぜか?

個人の衣食住が整って文化や社会全体に

目が向けられるようになるからであろうか。

豊かになりお金持ちになり過ぎた人が

自らの富裕さを誇示するために寄付がはじまるのだろうか。

確かに一面ではそういうこともあるだろう。

でもそれは現象の一部分であって本質ではない。

 

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では、その本質は何か?

それは自らの成り立ちへの気付きであろう。

個人であれ、法人であれ

今ここに存在していられるのは

社会というものの存在を前提としてのことである。

社会があることによって個人も法人も存在できる。

自らの存在がその社会によって

与えられ支えられているものであると気付いた時、

与えられたものへのお返しとして<貢献>が始まるのである。

見返りを求めず一方的に貢ぎ、献げるのは、

すでに多くを受け取ってしまっているからである。

 

存在は与えられたギフトであり

貢献は行動するギフトである。

 

それは自然に対しても同じである。

自らの命が自然によって与えられたものだと気付いた時

内的動機に導かれた環境保全がはじまるのである。

そしてそういう気付きを得て

「ありがとう」と言えるようになることを

<成熟>というのであり、

その成熟は年齢とも収入とも無関係である。