2018.08.16

『世紀末とベル・エポックの文化』 福井憲彦 著 1999年刊 山川出版社

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「過渡期であり、無秩序が支配する」近代の草創期。
人々の意識は<国民国家>という象徴に次第に収斂していく。
その時期に大きな役割を果たすのが電気である。
石炭やガス灯の炎のゆらめきから眩く硬質な光を放つ電気への転換。
光輝く都市はより多くの人々を集め、
その流れは一方的で不可逆のものとなる。
電気はただ輝くだけの象徴に止まらず
情報伝達を劇的に変化させるメディアでもあった。

電気によって情報が集められ
それは政治的・産業的意志により変換され
電気によって都市の大衆を煽動する。
このマッチポンプ的な情報の循環が
ナショナリズムを絶対化していった。

科学技術による煽動によってナショナリズムの枠組みは
国家国民の隅々まで規定するようになった。
力としての石油、情報を操る電気。
眩い光は、境界線の向こう側の闇を深く濃いものにした。

 

 

以下、本文より・・・
 

・時代のキーワードは、工業化、都市化、国民化、
そして文明と進歩であった。
・「文明のあらゆる要素の淵源となっている宗教的、政治的、
そして社会的信念の崩壊、これが第一である。
第二の要素とは、現代の科学と工業発明によって生み出された、
まったく新しい思考や存在の創出である。
過去の思考はゆるがされてはいるけれど依然として強力であり、
それらにとってかわるべき新しい思考は、いまだ形成途上である。
現代は過渡期であり、無秩序が支配する時代なのだ」
→ルボン
・ヨーロッパ諸国はいずれも、1890年代のどこかで、
1870年代半ば以来続いてきた長い経済不況を脱することができた。
あえていえば、ベル・エポックといわれてきた時代は、
ほぼ90年代に不況を脱するあたりが、その始点といえるだろう。
・19世紀末から20世紀初めの正規転換期は、
自然科学の分野において、
それまでの変化のペースを考えれば驚異的ともいえる進歩が、
現実になった時代であった。
・こうした姿勢はすでに啓蒙の18世紀からはっきりしていたが、
19世紀末になって病気治療の有効性が明確になるにしたがって、
より大きな力を発揮するようになる。
医学の位置の確立は、病気のことは専門家に
任せておけばよいというように、
専門技術者に依存した社会の仕組みや考え方が
広まってゆくことを、象徴的に示していた。
・放射能(ラジオアクティヴィテ)という言葉は、
マリ・キュリーが考えだしたものだった。
・見えない世界が、見える世界を決定づけていることへの関心は、
人の心についても新たな知見をもたらした。
→フロイトなど
・それまでの合理主義や実証主義にたいして、
現実性にかんする別の考え方を提起しようとする哲学の展開がみられた。
これもまた、物理学や精神分析学とならんで、
事物のとらえ方をめぐって、
それまでの知的な秩序づけの方向を根本から変えてゆこうとする点で、
この時代に始まるパラダイム転換を象徴するものであった。
→ベルクソン、ラッセル/ヴィトゲンシュタイン、ニーチェ
・19世紀ヨーロッパにおけるナショナリズムは、
世紀半ばまでは、自由主義の主張と結合するかたちで
立ちあらわれていたのだが、世紀末にいたって、
国際政治経済の覇権争いがその緊張を高めるのに応じて、
極めて強い排外主義的傾向や、
人種差別的な色彩をおびたものを内包しはじめていた。
→社会進化論、優生学
・電気は、19世紀末おいて変化と進歩を象徴する
「きらめき輝く妖精」であった。
・ジーメンスが最初の市内電車の走行にベルリンで成功
→1881年
・なにより社会生活にとって大きかったのは、
電灯照明の普及とモーターとしての活用
・蒸気を動力とするには石炭の供給が困難であった国、
イタリアやスイス、北欧諸国などでは、
水力で発電した電気の活用が、工業化を推進する役割をはたすようになる。
・内燃機関を活用したまったく新しい乗り物、
自動車が開発され、既存の鉄道も
ディーゼル機関車への発展の道がつけられ、
汽船もまた蒸気から重油のエンジンへと転換がはじまった
→石油覇権の世紀
・平台による印刷ではなくて輪転機によって、
短時間で大量部数の印刷が可能になるという技術革新
→日刊新聞の発行増
・大衆のジンゴイズム(熱狂的で排外的な愛国主義)に巧みに取り入った
→新聞と政治
・国民国家という枠組みが強烈に意識される機会
→万国博覧会
・社会の仕組みが工業化し、生活が都市的なものに変貌するにともない、
従来からの農作業や職人仕事のような、
働くことと一体化した身体技法にかわって、
身体を動かすことそれ自体をテーマとする
スポーツという身体文化が、
人びとにとって大きな存在感をもつことになる。
・カトリック教会や厳格なプロテスタントは、
いっそう厳しい姿勢を示した。
→信仰と世俗の論理の乖離
・家族生活を安定させることは国政にとっても関心事であったから、
家族の重視は政治的な立場の左右を問わず一致していた。
イギリスのヴィクトリア女王も、
フランスのナポレオン三世も、
よき家族の一員であることをアピールしようと努めた。
世紀末になって、この傾向はいっそう強くなっていた。
・フランス語のフェミニズムという言葉は、
世紀末には、多様なかたちをとった
これらの女性運動をさすものとして一般化したし、
運動がさらに活発だったイギリスでも、
20世紀にはいるとフェミニズムという表現は定着する
・安易な物質主義や効率性へ流れている
世の中にたいする嫌悪もあれば、
行先不透明な変化の感覚や、
真理への不可知論をともなうペシミズムあったようにみえる。
したがって世紀転換期の文学は、
問題が解決されて明るい将来に進むようなイメージではない。
人間の内面的葛藤や深奥の世界に降り立とうとするものが多くなる。
・おもわぬ感覚連想が、過ぎ去った時の光景を
自らのうちに呼び覚ます。
人の生の内なる世界では、実は時間も空間も決して連続してはいない。
だが、つねにたわんでいるその時空の不連続から、
生への力もまた湧いてくるのである。
・人間の内と外とを、つまり主体と客体とを截然と区別でき、
そのうえで主体が客体を認識の対象にできるという近代思考法が、
現在を100年ほどもさかのぼるもう一つの世紀転換期に、
既に問い返されはじめていたのであった。